kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月19日

【緊急】裁判員制度に関する署名(19日中、なるべく早い時間に)

裁判員選任手続きにおける性暴力被害者の安全とプライバシーの確保を求める緊急要請にご賛同ください
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=454


上記URLの文書をご一読のうえ、賛同の場合は、上記URLに記されているメールアドレスにメールを送信してください。

状況について、非常に参考になる新聞記事@九州版の読売新聞、5月6日付け:
http://bit.ly/R5KXu


要点をノート風に:

・裁判員制度では、裁判員は事件と無関係でなければならない。
・そのため、裁判員候補(数十人から100人ほど)に対し、被害者の氏名などを伝える。(この段階で「被害者は私の友人の家族です」みたいな場合は裁判員に選任されない)

・裁判員候補には守秘義務がない。裁判員には守秘義務がある。
・よって、「候補」の段階で知らされたことについては、秘密が守られるという保証がない。

・裁判員制度の対象となる「重大事件」には、強姦致死傷、強盗強姦、強制わいせつ致死傷、集団強姦致死傷事件が含まれている。これらの事件が「重大事件」に占める割合は、08年で約2割。
・「致傷」の「傷」には、精神的な傷も含まれる。

・これらの事件では、被害者のほとんどが被害を知られたくない。
・法廷では被害者の氏名・住所などは伏せられる。
・しかし裁判員制度では、「裁判員になる人は事件と無関係でなければならない」ため、候補者に被害者の氏名や事件概要を伝える。

→ 裁判員候補者は、どういう名前の人がどういう事件の被害者になったのかを知ることになり、そのことについて守秘義務もない。

→ このような制度では、上記のような犯罪の被害にあったときに訴えることもためらわれるといった結果を生じさせる可能性が小さくない。


……上記の署名活動は、この点に関するものです(より正確なところは、リンク先の「要請書」をご一読ください)。

で、新聞記事には下記のようにあります。
最高裁も「情報流出による二次被害の恐れが考えられる」と懸念するが、対策の指針は示さない予定で、最終的には各地裁で対応を判断することになりそうだという。


裁判員制度そのものは21日から始まることになっていて、それを止められるはずはない、というご意見の方も、この署名には少しお時間をお願いできればと思います。

最高裁レベルや制度設計レベルではなく、「対応を判断」することになる地裁のレベルに、制度設計者とは別の視点からの意見を届けることは、無駄ではないはずですから。

以上、取り急ぎ。

※via はてなブックマークのトップページにあった記事

※この記事は

2009年05月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:10 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼