kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月10日

アフガニスタンで死亡した英軍兵士はアイルランド共和国出身(付:ブラック・ウォッチについて過去に書いたもの)

7日、アフガニスタンで英軍兵士4人が死亡しました。4人が一緒にいたのではなく、3件の攻撃で4人が死亡したとのことです。

Four UK Afghan deaths in one day
Page last updated at 16:41 GMT, Friday, 8 May 2009 17:41 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8039691.stm

これを報じるBBCなど大手メディアの記事に掲載されていた、まだとてもお若い男性の兵士の服装がBlack Watchのもので(Black Watchについては2004年ファルージャ攻撃のときに投稿したものの残骸があるのですが……とりあえずこのエントリの下の方に貼り付けておきます。残骸では読みづらいから……こういうアドホックなことじゃなくて、ちゃんとやりなさいよという声は自分の中でもしていますけど)、またもやBlack Watchが最前線に送られたのかと思いつつ、亡くなったのはスコットランドの方かと思っていたら(BWはスコットランド拠点なので)、BBC Northern Irelandやベルファスト・テレグラフで大きく取り上げられていたので、ベルファストの方だと知りました。というか、居住地はベルファストなんですが、出身はアイルランド共和国。

アイルランド(共和国)といえば「反英」、みたいなイメージは強くあるし、実際そういう考えの人たちも少なくないのだけど、英軍に志願して入るアイルランド人は、そう多くはないにせよ「珍しい」存在ではありません。それも歴史的な話(第一次大戦でアイルランド人兵士が英軍で戦ったとかいうことは有名ですが)ではなく、現在の話。数ヶ月前にガーディアンで「英軍にいるアイルランド人」のインタビュー映像を見たのですが、それは今は探せないので(ブクマにも見当たらないし、どう検索しても出てこない<ダメな私)、もっと濃い内容のSlugger O'Tooleをどうぞ(コメント欄も。濃度の高いカオスですけど)。重要なのは、この「就職」には政治的意味はないということです(ガーディアンのインタビューに答えたアイルランド人兵士もそう言っていた)。つまり「ユニオニスト」か「ナショナリスト」かという、「アイルランド問題」(<独立戦争まで)や「北アイルランド紛争」を政治的に語るときに前提となる区分は、彼らの「英軍への入隊」には関係はない、と。

ともあれ。

7日にアフガニスタンで亡くなったショーン・ビニー伍長 (Corporal Sean Binnie) は22歳。Black Watchはこの3月にアフガニスタンに送られたそうで、その直前にガールフレンドと結婚、妻のアマンダさんも外見からして20歳そこそこ。ふたりはショーンが北アイルランドのパレス・バラックスにいた2007年9月(ということは対NI治安維持作戦「オペレーション・バナー」の終結後ですが)に、ベルファストのクラブで知り合ってつきあい始め(この頃にショーンはベルファストに転居)、その後ショーンが転属か何かで拠点をスコットランドに移したあとも、彼は毎週アイリッシュ海を渡ってアマンダ(東ベルファスト在住)に会いに来ていて、2008年2月にプロポーズ、そして12月に結婚。それからまだ半年も経っていないんですね……。ショーンは彼女のお父さんに、自分の身に何かがあったら開封してほしいといって手紙を託していたそうです。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8041930.stm

ほかの3人の兵士たちは自爆攻撃や爆発で死亡していますが、ショーン・ビニー伍長は銃で撃たれたそうです。(狙撃されたのか、銃撃戦などで被弾したのかはわかりませんが。)彼の死の状況について、BBC記事から:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8039691.stm
A Black Watch soldier who was shot near Musa Qala in Helmand has been named as Cpl Sean Binnie, 22.

...

Almost 500 troops from the Black Watch left their home base at Fort George just outside Inverness in March to begin a six-month deployment in Afghanistan.

Cpl Binnie, from the 3rd Battalion The Royal Regiment of Scotland, is the first Black Watch soldier to be killed on this latest tour.

Most of the Black Watch are deployed in Kandahar but Cpl Binnie died from a bullet wound received on a reassurance patrol with the Afghan National Army in Helmand.

つまり、約500人からなるBlack Watchはこの3月にアフガニスタンに送られ(予定は6ヶ月)、主にカンダハルで活動しているが、びにー伍長はヘルマンドのMusa Qalaで、アフガニスタン国軍と一緒にリアシュアランス・パトロールをしていて (reassurance patrolって何だろ、と思ったら英軍の用語みたいですね。軍用車両などを使わずに普通に歩いて、そのへんの人たちと話をしたりして、heart and mindをつかむという主旨) 1発被弾し、死亡(おそらくは狙撃でしょう)。今回の派遣でBlack Watchの兵士が殺されたのは初めてのケースとなるとのこと。

イラクでもアイルランド人の英軍兵士は何人か死亡しています。最初の死者がバグダード陥落の少し前、2003年4月6日にバスラで狙撃されてなくなったIan Maloneさんで、彼についてはウィキペディアで項目が立っています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ian_Malone

彼の葬儀に参列したアイルランドの国会議員(フィアンナ・フォイル所属)は、お父さんが英軍に従軍していたとのことで、この議員さんは1946年生まれだから、お父さんが従軍していたのは第二次大戦の可能性が高そうな気がします。詳細はそれ以上調べていないので不明ですが。(第二次大戦時は、アイルランドは「中立国」で、アイリッシュ・ナショナリスト、というか独立戦争でメインストリームから分かれたリパブリカンの勢力は、ブリテン島で爆弾闘争をやっていました。)

以上、「アイルランド人」=「反英」(=「反骨」)という「イメージ」で判断したり、その「イメージ」を確認して安心したり(司馬遼太郎の『街道をゆく』のアイルランド編が後者の例)、ということがなんかとても多くあるような気がするので。個人的に、ですが。

ひとくちに「アイルランドの人 Irish」と言ってもバックグラウンドはさまざまであることは言うまでもないことですが、「アイリッシュ・リパブリカニズムの父」的な存在であるウルフ・トーンは「プロテスタント」だった、とかいう事実が、アイルランドのリパブリカンやナショナリストは「カトリック系」だという一般化によって押し流されたりしているのは、見るにしのびず……。

それから、ブクマのコメント欄でご教示いただいたのですが (thanks!)、ショーン・ビニーさんは、スコティッシュのご両親のもとにダブリンに生まれ、2003年に入隊しているとのことです。(スコットランドとアイルランドの関係は、「北」だけ見てるとまるでわかりません。)
Cpl Binnie, who was born in Dublin to Scottish parents, joined the Army in 2003 and, after basic training, joined 3 Scots in Warminster, Wiltshire, before moving with the battalion to Belfast in 2005.

http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2009/0509/breaking8.html


"3 Scots" は2006年以降のBlack Watchのこと(英軍では、2006年に組織再編がありました)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Black_Watch

ショーン・ビニーさんは単に年齢的に若すぎますが、Black Watchは1990年代までは北アイルランドでの治安維持作戦に参加しており、IRAやINLAの攻撃対象となっていた部隊です。上記ウィキペディアによると、1975年から96年までに36人を北アイルランドで亡くしているそうです。



ブラック・ウォッチについて、資料倉庫的に。いずれも2004年10月の時点でウェブ上にアップしたもののコピペです。

teanotwar.blogtribe.orgの残骸、その1@2004-11-05 19:41:02
南部から中西部に移動させられた英軍部隊、ブラック・ウォッチ

英軍で、自爆攻撃による初の死者が出ました。以下、バスラにいた英軍が中西部に向かった経緯なども含め。

英軍はこれまでバスラを拠点として南部各都市に駐留していましたが、米軍がファルージャなど中西部各都市への大規模な攻撃を予定し始めた段階で、米側の要請に英国政府が応じるというかたちで、南部の英軍が支援に赴くこととなりました。これには英国の国会でも強い反発がありましたが、結局は米国の要請を受け入れることとなりました。

具体的には、ファルージャへの攻撃に行くために米軍が離れる場所(イスカンダリヤ:バグダードの南西50キロくらいのところ)に、英軍が入る、ということになります。バスラからの移動の際、200台近くの軍用車両が通過していた橋が崩壊し、兵士1人が死亡するという事故がありましたが(BBC NEWS)、移動は既に完了しています。

移動先の任務は、物資配給などではなく、パトロール活動です。

10月30日付けのScotsman記事によると、彼らが入ったCamp Dogwoodは、軍隊内部のスラングでCamp Incomingと呼ばれているそうです。

With gallows humour typical of soldiers on the frontline, the name relates to the insurgents' unsettling habit of lobbing mortars at them.

反乱者たちが迫撃砲を打ちこんでくるため、前線流の強烈なユーモアで、この基地はCamp Incomingと呼ばれている。


移動した部隊は、通称Black Watch regimentといいます。このレジメントの起源は1715年のジャコバイトの乱のときまでさかのぼり、日本の高校の世界史の授業で習う数多くの戦争(ナポレオン戦争から第2次世界大戦まで)において、欧州で前線に立ってきたそうです。Black Watchという名称は、この部隊がスコットランドのハイランド地方の治安安定に当たった(watchした)ことと、制服が濃い色のタータンだったことに由来しています。(参考:BBC NEWS, Profile: Black Watch


普段はドイツの英軍基地にいる彼らは、2003年4月の「砂漠のネズミ」作戦(バスラ侵攻)のミッションの後、2004年6月に物資配送など平和維持のミッションで再度バスラに派兵されました(BBC NEWS記事)。期間は6ヶ月、つまり、今度のクリスマス直前に終わることになっていました。

英国にいる家族たちは「またイラクに送られると聞き非常に心配しているばかりでなく、クリスマスには英国に戻ってくるはずだったのに、今からバグダード(イスカンダリヤはバグダード近郊)に行けとは」と憤慨。27歳のGary Buchanan伍長、25歳のCraig Buchanan伍長の兄弟のお父さん、Jamesさんは、次のように述べています。

"Let's not kid ourselves. My sons were due to be on leave. They have been told they will not get leave. And why? It's because they will be redeployed into Baghdad.

"Any chance of a Christmas reunion is out the window. They are not only not coming home, they are going to be sent into a very volatile area. What is about to be done is the equivalent of invading the Vatican City in Rome. Falluja is an important holy place and the soldiers are putting themselves in the firing line."

「冗談ではない。息子たちは休暇に入るはずだったじゃないか。それが、休暇はなしだと告げられた。その理由が、バグダードに配置換えになるからだという。クリスマスを家族揃って過ごせる可能性などまずありえない。帰郷ができないばかりか、極めて不安定な地域に送られる。これから行なわれようとしているのは、ローマのヴァチカンを侵略するようなことだ。ファルージャは重要な神聖な場所だ。兵士たちは前線に身を置くことになる。」


---- The Herald, Hoon confirms Black Watch mission into Sunni hotspot, 22 October 2004


Black Watchをイスカンダリヤに送ることを決定した英国のフーン国防相は、次のように述べています。

"We share with the Iraqi interim government and with our coalition partners a common goal of creating a secure and stable Iraq, where men, women and children in towns like Falluja can feel safe from foreign terrorists, from the kidnappers who murdered Ken Bigley and from other criminals,"

我々の目的は、イラク暫定政府や連合国のパートナー各国のゴールと一致している。すなわち、安全で安定したイラクをつくること、ファルージャのような街の男性も女性も子供たちも、外国のテロリストたちやケン・ビグリーさんを殺害した拉致犯、そのほかの犯罪者たちの脅威を感じないような場所をつくることである。

---- BBC News, Hoon confirms Iraq troop movement, 21 October 2004



またフーン国防相は「中西部での任務は何ヶ月単位で考えるものではなく、週単位のもの」と言い、ブレア首相は「Black Watchはクリスマスには英国に戻す」と明言しています。(Ibid)(また、現地に入ってから数度の迫撃砲攻撃を受けたあとで、フーン国防相は「Black Watchは30日以内にバスラの基地に戻す」と発言しています。)

そうではなく、英国が米国のためにここまでやること自体が問題とされるのが当然なのですが(UNでもNATOでもない、coalitionと自己定義した集団において)、いくつかの記事を見る限りは、議論は「Black Watchのクリスマス」に集中しているように感じられます。

ともあれ、特段軍事的知識がなくても、「週単位」ではなく「月単位」の計画を前提として動いているであろうことは、推測されます。すなわち、単純にBlack Watchを引き上げるのではなく、いずれかの英軍部隊と交替をさせるのであろう、ということですが、この点については、10月24日のBBC記事など、The Queen's Dragoon Guards というウェールズ本拠の部隊(the Welsh Cavalry)がBlack Watchに合流するという記事がいくつかあります。このウェールズのドラゴン部隊(ドラゴンはウェールズの象徴)も、Black Watch同様に、普段はドイツの英軍基地にいるのだそうです。

さて、10月29日にCamp Dogwoodに入った英軍には、さっそく迫撃砲が4発プレゼントされました(BBC記事、10月30日)。バスラの英軍への攻撃も激しくなっているとのことです(ibid)。11月1日にもまた迫撃砲(今度は6発)がプレゼントされました(BBC記事、11月1日)。3日にも基地に迫撃砲攻撃がありました(BBC記事、11月3日)。


英国の首相官邸は、「1月の選挙前にこのような攻撃があることは“予測済み”だ Downing Street said such attacks were "expected" ahead of January's election」とコメントしています(ibid)。

そこに4日の自爆攻撃が発生しました。イラクで自爆攻撃によって英軍が死者を出したのは、初めてです。

Three Black Watch soldiers have been killed and eight injured in a suicide attack in Iraq.
A vehicle was detonated at a Black Watch checkpoint, followed by mortar fire at around 1300 local time, Armed Forces Minister Adam Ingram said.

An Iraqi translator also died. Six of the injured are already back at base.

The 850-strong force has been attacked repeatedly since it arrived at Camp Dogwood, 20 miles from Baghdad, on Friday, after a request from the US.


The latest attack brings to 73 the number of UK military personnel deaths in Iraq.

The remaining two injured soldiers are expected to be released from hospital on Friday.

イラクで自爆攻撃があり、Black Watchの兵士3人が死亡、8人が負傷した。

現地時間13:00ごろ、1台の車両がBlack Watchの検問所で爆発し、それに続いて迫撃砲が発射された、とアダム・イングラムArmed Forces Minister*が述べた。

(3人の兵士のほかに)イラク人通訳も1人死亡した。負傷したうちの6人は既に基地に戻っている。残る2人の負傷者は今週金曜日にも退院の見こみである。

850人強から成るこの部隊は、米国からの要請に応じてバグダードから20マイルのところにあるキャンプ・ドッグウッドに金曜日(29日)に到着して以降、繰り返し攻撃を受けている。

今回の攻撃で、イラクで死亡した英軍の死者数は73となった。
---- BBC News, Suicide attack kills UK soldiers, 4 November 2004


亡くなった3人の兵士のお名前は、まずは家族(遺族)に伝えられ、メディアに出たのはしばらくしてからです。

そのお名前を報じるBBCの記事に、「兵隊さんと仲良くしよう」とでもいうような絵柄のパンフレットを掲げるBlack Watchの兵士の写真が出ています。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/3984575.stm

ベレー帽につけられている赤いふわふわした羽が、Black Watchのトレードマークです。パンフレットに印刷されている旗(青に白の×)は聖アンドリューの旗で、スコットランドのnational flagです。また、図案化された赤いライオンはスコットランド王室の紋章です。

同じ記事に、Camp Dogwoodのエリアの地図が載っています。ファルージャとはユーフラテス川でつながっています。

イングラムArmed Forces Minister*は、兵士たちの死について次のように述べていると、BBCは報道しています。

After offering his own condolences, Mr Ingram said: "We always knew there were risks involved in this engagement."

お悔やみの言葉を述べたあと、イングラム氏は「今回の着任にはリスクがあることはずっと認識していた」と述べた。

---- BBC News, Suicide attack kills UK soldiers, 4 November 2004


5日金曜日の英国の新聞の一面は、このニュースとアラファト氏の容態とブッシュ再選だそうです(BBC NEWS、「本日の新聞」のコーナー)。

In Picturesを見ると、各紙こんな感じです:

Daily Express(エロとスポーツ・芸能ばっかりのタブロイド)
BOMBER KILLS 3 BLACK WATCH HEROES
# 関係ないけど、フレデリック・フォーサイスがExpressに連載開始するそうです。

Daily Mail(芸能と王室ネタが得意なタブロイド)
AMBUSH IN THE TRIANGLE OF DEATH
# 紙面の一番上の部分にある赤い造花は、もうすぐ迎えるRemenbrance Day(戦死者追悼の日)のシンボルです。

Daily Mirror(反戦を主張し続けているタブロイド。ただし編集長は今年初夏に「偽造写真」をつかまされて解任。)
BLACK DAY

Daily Telegraph(保守党系ブロードシート)
Three Black Watch Killed

Financial Times(経済紙)

Three British Soldiers Die in Iraq Attack
# トップ記事はアラファト氏の容態。BWの記事は1面の一番下。経済紙ですね。。。

Guardian(ニュー・レイバー支持とオールド・レイバー風味がしのぎをけずるブロードシート)
Suicide bomber kills Black Watch soldiers

Independent(反戦のスタンスから支持されるブロードシート:でも版型はタブロイド)
'We sent them into a dangerous area'

Sun(ルパート・マードック組のエロ&スポーツ中心の好戦的タブロイド)
BLACK WATCH MOURN HEROES
# 注意:裸同然の女性の写真がでかでかと出ています。

Times(ルパート・マードック組のブロードシート)
Iraq suicide bomber kills three men of Black Watch


4月の「ファルージャ」の目撃者のひとりである英国人、ジョー・ワイルディングさんは、10月19日に、配置転換されることになる英軍兵士に向けて公開書簡を書いています。
バグダードに行けば、英軍兵士は南部でよりも大きな犠牲を出し、米国の判断ミスと残虐行為が引き起こす蜂起の矛先を向けられるでしょう。皆さんが殺されたとき、手足を失ったとき、劣化ウラン兵器の毒で汚染されたとき、英国政府が皆さんや皆さんの家族を助けはしないでしょう。

皆さんは、行かないで下さい。ファルージャに暮らすイラクの普通の人々に対して確実に犯されることになる残虐行為の共犯者にはならないで下さい。事態を悪化させるだけの出鱈目な攻撃のために、自分の身をさらなる危険にさらさないで下さい。

(翻訳は益岡賢さん)


ワイルディングさんは書いていないけれど、私が読んだ英国のメディアの記事のなかには、いくつか、はっきりと「標的になる will[could, could] be targeted」という表現を使っているものもありました。

おそらくは「不安を煽るな」という抗議も寄せられているであろうと思いつつ、それらの記事を読んでいたのは、わずか1週間か10日前のことでした。

トニー・ブレアの手は、もうずっと長いこと血まみれでした。その手がまた、新たな血に染まりました――今度は自国民の血に。

米国の大統領選挙はあんな結果となりました。

英国は来年、2005年5月に総選挙が予定されています。(事態の変化に伴い、前倒しも囁かれているけれども。)

*注:
英国では閣僚としてカウントされる「大臣」と称されるのはSecretary of Stateで(外務省、国防省など)、ministerはPrime Ministerを除いては、「なんとか次官」といったような肩書きです。それの日本語表記を調べるのをさぼって、ここでは原語のままで表記してあります。こういった話は、例えばこちらさん(←英語)などが参考になります。

投稿者:いけだ

コメント
■ Black Watchの配っているパンフレット
5日配信のthe Wrap (the Guardianのメール配信ニュース:有料)で、BWが配っているパンフレット(「フライヤー」との表記もあり)についての説明がありました。デイリー・テレグラフ記事からの引用だと思います。

それによると……

英軍兵士はBWの兵士がイラクの女の子2人に微笑みかける絵とスコットランドの旗が印刷されたフライヤーを配っている。そこにはアラビア語で「まず自己紹介させてください。私はBWレジメントのスコットランド人兵士です。みなさんにお願いがあります。私たちがここにいることに反対する人たちのことは、無視してください。……彼らがあなた方に何をしてくれたというんですか。あなた方の息子たちを奪い、あなた方がお住まいのこのエリアに、悲しみをもたらしただけではありませんか。」

しかしある将校たちは、「怒り狂った教師」(後の代名詞より、女性とわかる)から猛烈な抗議にあった――あなた方はいっそう多くのテロリストをこの地域に招き、私の生徒たちの生命を危険にさらしているではないか、と。

いけだ (2004-11-06 01:31:22)


teanotwar.blogtribe.orgの残骸、その2@2004-11-06 09:39:30
ブラック・ウォッチ兵士インタビュー

ブラック・ウォッチが移動中だったときの取材に基づく10月29日の英デイリー・ミラー記事。兵士たちの年齢に注目してください。
「死の地帯」でのミッションに怒るブラック・ウォッチ
BLACK WATCH FURY AT IRAQ 'DEATH ZONE' MISSION
Oct 29 2004
By Padraic Flanagan
http://www.mirror.co.uk/news/allnews/page.cfm?objectid=14809569&method=full&siteid=50143

昨日、イラクの「死の三角地帯」に向かう部隊が、米軍を助けるためのミッションを厳しく批判した。

マニー・リンチ(Manny Lynch)二等兵(19歳)は、路上のブービートラップや自爆を警戒して進むブラック・ウォッチの一員である。「腹は立つし、気は張り詰めてるし」と彼は言う。

米軍の援護のためバスラを離れ、バグダード南方の危険地帯へ向かえという命令には、リンチ二等兵と一緒にいる若い兵士たちもまた、彼と同じくらい怒りを覚えている。

ベン・ブレルトン(Ben Brereton)(19歳)は、「何か、アメリカが出てったあとの場所を引き受けるみたいですね」と言う。


英陸軍参謀長のジェイムズ・バショール(?James Bashall)大佐は、軍として適切な注意を払いつつ、「ハート&マインド」のアプローチをとるのだと約束していた。

ブラック・ウォッチのコンヴォイがバグダード近郊の危険地帯へと北上するにつれて、怒りと決意のムードが高まった。

マニー・リンチ上等兵は、帰郷が予定されていた4日前に、バスラを離れバグダード近郊に向かえという命令を受けた。

「えっと思いましたよ」と彼は言う。「そういうことなら、最初にわかった時点で言ってくれてれば、もうちょっとすんなり受け入れられたかもしれませんけど。」

バグダードに向かうHercules C-130に乗り込みながら、ファイフ出身のこの19歳の兵士は、「いろいろ聞いてますよ、『死の三角地帯』でしょ。誰だって緊張しますよ、こっちより相当状況悪そうだし」と言う。

「自分たちはうまくコントロールしてきました。でもアメリカはどうも、めちゃくちゃにしてきたみたいですね。」


イアン・ゴードン(Ian Gordon)二等兵はエディンバラ出身で、彼もまた19歳である。「予想されるようなさまざまな状況について、特別に訓練がありましたよ」と彼は言う。

「車両に搭載した爆発物や自爆に気をつけるようにと言われています。」

「到着してしばらくは、ヘルメットを脱ぐことができないだろうと思います。とにかく頭を低くして、注意力はオンにしておかないと。最初聞いたときはへこみましたけど、出発が迫ってるんで、モラールは上がってます。」

ブラック・ウォッチのコンヴォイは、ほかの部隊の援護も含め、全部で850人強である。

コーンウォールのトゥルーロ(Truro)出身のベン・ブレルトン(Ben Brereton)(19歳)はRoyal Electrical and Mechanical Engineers(?陸軍工兵隊かも)所属の工兵である。「ただもう腹が立ちますね。なんで自分たちが行くことになったんだ、って。」

「だってアメリカ軍はあんなに人数多いじゃないですか、自分たちの10倍以上いるんですよ、それで自分たちがアメリカ軍を助けなきゃならないなんて、ほんともう冗談じゃないって思います。」

「でももう出発してしまったわけで、どうすることもできない。ただもう早く終わってくれ、家に帰りたい、それだけです。」

ブラック・ウォッチの先遣隊と装甲車両は、すでに目的地に到達している(目的地の名前は伏せられている)。昨日輸送機でバスラからさらに150人が空路輸送され、数日内には配置転換が完了する見込みである。

ブラック・ウォッチはバグダードからおよそ30マイルの、テロリストの温床〔←原文ママ:a hotbed for terrorists〕に着任することになる。

ロケット弾や自爆、拉致が当たり前の地域である。

今回の移動で、米海兵隊が来月(=11月)に、反乱者が制圧しているファルージャを攻撃するための下地を整えることになる。

ブラック・ウォッチは、30日間の任務の後、12月初めにはイラクから出国すると告げられている。

軍報道官のチャールズ・メイヨー(Charles Mayo)少佐は「部隊は現地で仕事をこなしたいと思っている」と述べている。

駐イラク英陸軍参謀長のジェイムズ・バショール(?James Bashall)大佐は、「英陸軍は米軍とは異なったやり方をしている。我々は、バスラで成功した戦術を用いることになっている」と述べている。

「ハート&マインド第一、武力は最小限、しかしながら軍として最善の慎重さを示す。」

「ブラック・ウォッチの司令官は、リスクの所在を確認するまで、部下にヘルメットとボディアーマーの着用を徹底してくれることと思う。」


Mirror記事には、19歳の兵士の写真が掲載されています。


この写真はどう見ても、「やんちゃそうな男の子」です。サッカーのルーニー選手のような感じにも見えます。(オーウェンとかではなく。)

記事に出てくる地名について。まず、エディンバラ(Edinburgh)は、いわずもがなですが、スコットランド(というnation)の首都。歴史的な都市で観光客も多く訪れる場所です。ファイフ(Fife)は、湾を挟んでエディンバラと向かい合うような位置にあって、産業革命のときはとても栄えました。ゴルフのセント・アンドリュースが最も有名かもしれません。トゥルーロ(Truro)はイングランド南西部、コーンウォールにある町で、1880年に着工された(英国としてはとても新しい)大聖堂(Cathedral)があるそうです。ヴィクトリアン・ネオ・ゴシックの建築で、The Bishop's Throneに「ビルマの木材」を使っているなど、その時代を感じさせる部分がいくつかあります。

……こんなことでもやってみないと、という感じです。この19歳の子たちの出身地はどんなところなのか、それをまとめることで、自分の中でupsetしている何かを落ちつかせようとしています。

4日の自爆で亡くなった3人は全員ファイフの人で、1人は19歳でした。その人は、18歳の弟さんと一緒にブラック・ウォッチにいて、一緒にイスカンダリヤに送られた人だそうです。ご両親は「この戦争には反対」「英国の戦争じゃなくて他国の戦争だ」という考えの持ち主。(一方で、「大変なショックを受けています」「任務を果たした息子のことを誇りに思います」というだけで沈黙している“戦死した兵士の母”もおられる。)


……以下、本筋に関係ないので転記時にカット。
投稿者:いけだ


teanotwar.blogtribe.orgの残骸その3@2004-11-07 22:09:07
死亡したブラック・ウォッチ3兵士の2家族が部隊撤退を主張。

米軍がファルージャ攻撃に向かうため軍がいなくなってしまう地域を埋めるために、南部バスラからイスカンダリヤに移動させられ、数日で英軍発の自爆攻撃による死者を出したブラック・ウォッチ・レジメント。その死者の3家族のうち2家族が、この戦争に反対であることを明確に述べました。

ブラック・ウォッチはスコットランドの連隊。亡くなった3人の出身地のファイフは、スコットランド、エディンバラと湾を挟んだ向かい側にあります。ゴルフで有名です(セント・アンドリュース)。

移動が完了する前の兵士たちのインタビューもご参照ください。

Relatives' anger over Iraq deaths
Last Updated: Friday, 5 November, 2004, 14:48 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/scotland/3984753.stm
自爆されて死亡した英陸軍ブラック・ウォッチ兵士2人の親族が、イラクにおける紛争について反対の声を上げた。

ファルージャに程近いところで、ファイフ【←地名】出身の3人の兵士が死亡した――31歳のスチュアート・グレイ軍曹(Sgt Stuart Gray)、19歳のポール・ロウ二等兵(Pte Paul Lowe)、22歳のスコット・マカードル二等兵(Pte Scott McArdle)である。

ロウ二等兵の弟である18歳のクレイグは、家族はこの戦争には反対だったと述べている――ポールはレジメントはこれ以上イラクにいてはならないのだと考えていた、と。

マカードル二等兵のおじは「ひどく悲しんでいる」状態にあり、英国と米国の指導者を、兵士たちを「死の罠」に送りこんだのだと攻撃した。

スコットのおじのマーティン・マカードル氏は、この戦争のことをジョージ・ブッシュ米大統領の戦争であると言い、トニー・ブレア首相はそれを受け入れてもらいたいと語った。

マカードル氏は「甥たちには自国を守る覚悟はできていたでしょう。しかしほかの国の戦争を戦うために行くなんて」と述べた。

グレンロースにある自宅の外でインタビューに応じた氏は、「ひどい悲しみです。悪い夢のようです。目覚めたら現実ではなかったというような」と付け加えた。

クレイグ・ロウは、兄を失ったことがまだしっくりこないのだと語っている。

まだティーンエイジャーのクレイグもイラクで任務をつとめ、最近ケルティの自宅に戻った。クレイグは、兄は軍隊の仕事に生きがいを感じていたのだと語る。

「危険のことは考えてなかったんじゃないでしょうか。兄はいつも気合入れてがんばってました」とクレイグは言う。

「今すぐ全員を撤退させるべきだと思います。だってこれ以上もっと失うことになるんですから。」

クレイグは、兄はこの戦争を「どうして始まったのか誰も知らず、どうして行なわれたのか誰も知らない」戦争だと考えていました、と語る。

「イラクにいるのはおかしいと兄は考えていました。レジメントの任務はもう期間的には終了していたんですから」とクレイグは言う。

家族は、英国政府は、米国大統領を助けるために、ブラック・ウォッチをより危険な地域へ送りこんだのだと感じている。

なお、スチュアート・グレイ軍曹の母親のメアリー・グレイさんについては、陸軍が代わって声明を出している。それによると、グレイさんは息子の死に「深いショックを受けている」。

彼女の悲しみは、「故郷のレジメントの一員であり、多く愛された息子を誇りに思う気持ちが、ほのかにではあるけれど」伴ったものだという。

ブラック・ウォッチの司令官、ジェイムズ・カウアン中佐(Lt Col James Cowan)は、レジメントからご遺族のみなさまにお悔やみを、とした上で、死亡した3人は「同志」であったと述べた。

カウアン中佐は、グレイ軍曹は迫撃砲隊の経験豊かな軍曹であったと述べた。

マカードル二等兵は、精鋭の偵察隊のライフル兵だった。

ロウ二等兵は、レジメントの鼓笛隊のドラマーで、才能豊かだった。

3名の遺体は、来週英国に戻ってくる予定である。


名前を明らかにされていないイラク人通訳も同じ自爆攻撃で死亡し、さらに8名の兵士が負傷した。

通訳は、死亡した日に結婚式を挙げている予定だった。

カウアン中佐によると、木曜日(4日)、ファルージャ近くのユーフラテス川の東岸で道路を封鎖していた地点で、自爆者が兵士たちの目の前で車両を爆発させた。検問所にいた隊は、その後、しばらく迫撃砲の攻撃を受けた。

スコットランド民族党【←スコットランドの独立を目指すスコットランド・ナショナリスト政党:SNP】のアレックス・サーモンド党首は、この兵士たちの死は「関係者全員にとって悲劇としか言いようがない」と述べた。

「イラクの彼ら兵士たちの勇気は、そもそも彼らをイラクに送った政治家たちの狡猾さと、くっきりとした対照を示している。」

しかし、ジェフ・フーン国防相は、サーモンドSNP党首のコメントを「まったく何の深みもないことをはっきりと示している」と述べた。

「理解できませんね。勇敢なる3人の兵士のみなさんと通訳の方の悲劇的な死を、政治的に利用しようとするなんて、どうしてでしょうね」と国防相は述べた。

反戦を唱え続けているジョージ・ギャロウェイ議員は、トニー・ブレア首相と内閣を、「血に染まった手をしている」と非難、自爆を行なった人物たちを糾弾することを拒絶した。


■イラク人通訳について:
ロイター記事 Iraqi translator died hours before his wedding(16:10, Nov 5 2004)によると、この通訳氏は、自分がついているレジメントがバスラからイスカンダリヤへ移動したために予定を変更していたのだが、もし予定通りだったなら、この自爆があった数時間後に結婚式を挙げているはずだったとのこと。BWの司令官は「通訳はBWがイラクに到着して以来の付き合いで、兵士ととても仲良くなっていた。彼は自分から、移動に同行するといい、結婚式を延期してイスカンダリヤにやってきた」と述べている。名前が伏せられているのは「安全を考えての措置」であるとのこと。

■「血に染まった手(blood on his hand)」について:
自分では直接手を下さず、誰かを代わりに送りこんで殺人を行なう、という意味です。……以下、転記時にカット。

※この記事は

2009年05月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼