kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月05日

ガーディアン、特集 "miscarriages of justice" (記事メモ)

今日のガーディアンが、"miscarriages of justice"(司法の判断の誤り、冤罪)の特集を組んでいる。取り急ぎ、Kwoutでメモ。画像内クリックで記事に飛びます。



'It's like being buried alive' はイノセントなのにギルティと判断され何年も投獄されるという経験をした3人の男性のインタビュー。「バーミンガム・シックス」のパディ・ヒルさん、(たぶん)強盗殺人事件のジョン・カマラさん、そしてつい先日冤罪だったことが立証された女性暴行・殺人事件のショーン・ホジソンさん。あとコメンテイターのインタビュー。

それぞれの事件当時の映像も少し入っています。バーミンガム・ボムの後の英国の世論(アイリッシュのコミュニティに対する風当たりがきつかった)については、写真であれ動画であれ、映像資料では見たことがなかったもの(文字情報では読んではいます)。ほんの1秒か2秒なのですが、強烈。自分が文字で知っていることについて、つまり「理解している」と思っていることについて、あまりに生々しいものが出されると、ショックという反応になりますね。(逆に、最初から写真で示されているものについては、自分にはこういう反応はない。だからイラク戦争とかなるべく写真を見るようにしてたんだけど、そしたら麻痺しちゃって……。)

「バーミンガム・シックス」のヒルさんの言葉がきついっす。

それから、その下の枠にある記事のリストで、
Gerry Conlon: My ordeal goes on
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/may/05/gerry-conlon-miscarriage-of-justice

「ギルフォード・フォー」の――映画『父の祈りを』の――ジェリー・コンロンさんの記事です。


グアンタナモに収容され、つい最近になってようやく自由の身になった英レジデントのビンヤム・モハメドさんの例を引いて、「昔と同じことが今も起きている」と述べているところまで読んで、とりあえずメモしています。

ひとりでも多くの方に見ていただきたいビデオ、読んでいただきたい記事です。なぜ自分がそう思うのかは自分でもわかりませんけど。

ビンヤム・モハメドさんの身柄解放の直前、彼がハンストをしているころ、どこかのコメント欄で「テロリストをかばうのか」系の連中が暴れていたときに、文字情報として知っている「ギルフォード・フォー」の時代の「テロリストを生み出したコミュニティの連中」に対する追及、もしくは憎悪ないし排斥の波というのは、こういうものであったのだろうと思い、それでビンヤム・モハメドさんのケースをリアルタイムで追うのを断念した(「言葉」を追うのがきつくなった。その「言葉」はただの「記号」であり、それでいて「意味」と「コンテクスト」を有する、という構造の暴かれっぷりといったら)、という経緯がありました。つい数ヶ月前に。

※この記事は

2009年05月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼