kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年02月17日

映画『Hunger』の受賞が止まらない。(付: 2008年10月のショーン・オヘイガンの記事)

Hunger先日のthe London Evening Standard Film Awardsに続き、またもやスティーヴ・マックイーン監督の映画『Hunger』が受賞。まったく、これはどう見ても2008年最大の話題作だ。

Hunger strikes movie cleans up at Irish film and TV awards night
Monday, 16 February 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/film-tv/news/hunger-strikes-movie-cleans-up-at-irish-film-and-tv-awards-night-14189558.html

今回はアイルランドのthe Irish Film and Television Awards(アイルランド映画・テレビ賞)で、6部門での受賞。
http://www.ifta.ie/

http://www.ifta.ie/winners2009/index.htm から抜粋すると:
Film(最優秀映画賞):
Hunger - Laura Hastings-Smith, Robin Gutch (Blast! Films)

Actor in a Lead Role - Film(最優秀主演男優賞):
Michael Fassbender, Hunger - (Blast! Films)
※In Brugesのコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンもノミネートされていた。

Actor in a Supporting Role - Film(最優秀助演男優賞):
Liam Cunningham, Hunger - (Blast! Films)
※Hungerの「看守」のスチュアート・グレイアムもノミネートされていた。映画に出ている時間は「神父」のリーアム・カニンガムのほうがずっと短いのだが。

Original Score(音楽賞):
David Holmes, Hunger - (Blast! Films)
※デイヴィッド・ホルムズは別の作品 (Cherrybomb) でもノミネート。

Production Design(プロダクション・デザイン):
Tom McCullagh, Hunger - (Blast! Films)

Sound(音響):
Ronan Hill & Mervyn Moore, Hunger - (Blast! Films)

Rising Star Award:
Michael Fassbender - Actor
※この部門では、Hungerの脚本のEnda Walshもノミネート。Enda Walshは最優秀脚本賞にもノミネート(この部門で受賞したのはIn Brugesのマーティン・マクドナ)。


なお、テレビ部門で最優秀男優賞を受賞したエイダン・ギレンは、テリー・ジョージ監督のSome Mother's Son (1996) で主演だった。

Hungerについては、最近になってこんな記事も見ました。きつすぎるので全部は読んでいません。記事付属の写真は、映画での「再現」ではなく当時の本当の写真。

Hunger: The real maze men speak
Sean O'Hagan
The Observer, Sunday 19 October 2008
http://www.guardian.co.uk/film/2008/oct/19/northernireland

出だしのところの概要:
1979年だったと思う。あるいは1980年かもしれない。夕方のニュースにフレディ・トールが出てきた。私はロンドン北部のケンサル・ライズのフラットの居間で、何人かの友人たちと一緒に座っていた。誰かがフレディの名前を叫んだので目を上げると、そこにいたのだ。ずるずるに汚ならしい姿で、ほとんど彼だとはわからないほどだった。私とは同郷の彼だ。

たいしてよく知っていたわけではない。ただ、紛争が始まってほどないころ、私も彼も一緒に暴動に参加していて、そのころの彼のことをはっきり覚えていた。暴動は、当時のアーマーのナショナリストの地域では日常生活の一部だった。そのころフレディ・トールは黒い髪を少し長くしていて、若い労働者階級の者が一律に着ていたデニムのジャケットとジーンズという格好だった。けれどもその晩のニュースでは、彼は毛布だけしか身につけていなかった。メイズ刑務所の房の中で立っていた。髪は長く伸びており、顔はやつれ、彼の周囲の壁は、彼自身の排泄物が塗りたくられていた。馴染みのある顔ではあったが、まったく変わってしまっていた。

「長いこと、ブランケット・プロテストをしていた間は、自分の外見がどうなってるのかは実際わからずにいた」と、あれから30年ほど経って、彼は言う。あの長髪は今は見る影もなく、口ぶりは穏やかで慎重だ。「自分の顔を見たのは、看守が小便を房の中に掃いて戻したときだけだったから。窓から急に日が差してきて、何秒かの間、小便の表面に自分の顔が映ったんだ。おかしいかもしれないけど、それが自分だと認識するのに少し時間がかかった。まるで野人だったから」


このあと、ショーン・オヘイガンは映画が何を描いていて何を描いていないかを説明しながら、フレディ・トールに話を聞いていく。

オヘイガン自身は、暴動(という言葉も曖昧なのだが、主に投石。映画『父の祈りを』の冒頭などで描かれている)には加わったが、それ以上は進まなかった、と書いている。その理由として彼は「ロックと女の子のほうがよかったから」と書き(彼は音楽ジャーナリストで、U2の新作アルバムの制作に密着したりしている)、また、「銃が怖かったし、銃を持っている人間が怖かった。警察と軍は敵だったけれども、殺すなどということは思いもしなかった」と書いている。

そして30年近く経過して、かつて同じ街で同じ暴動に参加していた「ブランケット・マン」のフレディ・トールと、この映画について話をする。

オヘイガンが、映画のワンシーン(房の中のひどい衛生環境……あの映像を思い出しただけでうっと来るのだが……蛆虫が……しかも映像が完璧)について「本当にああいうふうだったのか」とトールに質問すると、トールは「もっとひどかった」と答える。ロングケッシュを出て何年も経ってからも夢でうなされた、と。

そしてオヘイガンは、英国人の芸術家が作ったあの映画を軸に、ロングケッシュの中と外で何があったかを書き、あのときに死ななかったハンガーストライカーとも話をしていくのだが、ちょっとあまりに生々しくてちゃんと読めない。情報としては「知ってること」がほとんどなのだが(1980年ハンストから1981年ハンストに至る経緯とか、1920年のコークのロード・メイヤーのハンストのこととか)、ディテールが……。特にトールの房を、ロング・ケッシュIRAのOCだったボビー・サンズが訪れたときの描写とか、映画には描かれていなかったところが、あの映画の映像で勝手に脳内に再生される。そして、映画の中のボビー・サンズ(マイケル・ファスベンダー)の目。

この記事の前の週、ショーン・オヘイガンは監督のスティーヴ・マックイーンにインタビューしている。

McQueen and country
Sean O'Hagan
The Observer, Sunday 12 October 2008
http://www.guardian.co.uk/film/2008/oct/12/2

これもまた、ハンストの経緯なども書き込んであるのでかなりの長文だが、スティーヴ・マクイーンというひとりのアーティストについて興味深く、読み応えのある記事だ。


※この記事は

2009年02月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼