kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年02月02日

【ガザ攻撃】自宅を砲撃され3人の娘さんを亡くしたアブルアイシュ医師を、BBCのジェレミー・ボーエンが取材

BBCの中東エディター(駐エルサレム)のジェレミー・ボーエンが、ジャバリヤの自宅がいきなり砲撃されて娘と姪4人を殺された産婦人科の医師、イゼルディーン・アブルアイシュさんの家を訪れるなどして関係者に会ったことを、27日から30日の日記に書いている。

Bowen diary: Hitting home
Page last updated at 18:28 GMT, Friday, 30 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7854829.stm
ボーエンは――これまでにもこの人の記事は紹介しているので既に書いたかもしれないが――1960年生まれの英国人(ウェールズ人)。ジョンズ・ホプキンズ大学を卒業後、1984年にBBCに入り、エルサルバドル、チェチェン、パレスチナ、アフガニスタン、旧ユーゴ、湾岸、ルワンダなど世界各地で戦争・紛争の取材を続け、2005年から中東エディター。中東からはイツハク・ラビン暗殺の第一報を伝えている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Bowen
http://news.bbc.co.uk/aboutbbcnews/hi/profiles/newsid_3224000/3224044.stm

「中東から報道すること」の難しさについては、2006年のインディぺンデントのインタビューなどで語っている。2007年にはWar Storiesという本を出している。amazon.co.jpで「なか見検索」がある。

0743449681War Stories
Jeremy Bowen
Pocket Books 2007-07-02

by G-Tools


さて、1月27日の日記をジェレミー・ボーエンは、「イゼルディーン・アブルアイシュ医師がどうしてくじけずにいられるのか、私にはわからない」と書き始めている。

※以下、引用内は概略。

1月16日の午後4時5分、彼の人生のすべてが変わった。1分も置かぬ間に2発のイスラエルの戦車砲撃が、ジャバリヤにある彼の自宅を直撃した。この砲撃で3人の娘と姪1人が殺された。彼のことは世界中で報道されたが、私が彼に会ったのは今朝が最初だ。

この件について、またアブルアイシュ医師という人がどういう人なのか、詳細は下記参照。

IDFによる一般家屋への砲撃で、3人の娘たちが殺された。父親はイスラエルで仕事をする医師だ。 [2009/01/21]
http://nofrills.seesaa.net/article/112928063.html

「あの人たちは、もうひとつの側の声など聞きたくないのですね」――娘を殺された医師の落胆 [2009/01/22]
http://nofrills.seesaa.net/article/112995793.html

アブルアイシュ医師の電話(2台持ち歩いている)はひっきりなしに鳴っている。地域の人たちや友人たちが弔問に訪れる。マスコミはインタビューのために並んで待っている。

医師の娘さんと姪御さんが重傷を負い、イスラエルの病院に搬送されて治療を受けているが、彼はこの日1日、病院を離れた。

ガザ地区の家族の上に起きた悲劇について、彼のことほどイスラエルで広く伝えられたものはない。攻撃(戦争)中は、イスラエル兵士の手によるパレスチナの民間人の死は、イスラエル国民にはあまり響かなかった。ガザ攻撃は、正義の戦争で、防衛のための必要な戦争だと見なされていた。地上軍が送られたとたんに、イスラエルでの最大の懸念は兵士たちの安全ということになった。

ボーエンはこの後、アブルアイシュ医師の経歴を述べる。彼はジャバリヤ難民キャンプで育ち、教育を受けてそこから出た。大学で学んで医師となり、米国のハーバード大学でも学んだ。そしてこの8年間はイスラエルで産科医として仕事をし、週末になるとジャバリヤの家族のところに帰るという「単身赴任」生活をしていた。

このことについて、ボーエンは次のように詳細に説明している。
ガザは閉ざされた世界である。そこに暮らす150万人のほとんどは、ガザ地区から出ることを決して許されない。海からも空からも出る道はない。エジプトとの国境は特別許可を持った旅行者に限定され、イスラエルとの国境はパレスチナ人にとっては事実上突破不可能である。

しかしアブルアイシュ医師は、その仕事のために、出入りする許可を得ていた。

ボーエンはここで、医師がヘブライ語を流暢に話したので、イスラエルのジャーナリストが彼から話を聞いていたということ、医師が和平/平和(つまり反武装闘争)を推進していたことを書いている。

そして、
アブルアイシュ医師は5階建ての、しっかりした作りの集合住宅に住んでいる。兄弟たちとその家族も同じところに住んでいる。親戚一同が一緒に住むことは、パレスチナでは普通のことだ。

今朝、アブルアイシュ医師はその住居を案内してくれた。最初に、娘さんたちの寝室だったところに行った。

彼は教科書が詰まった本棚を指差した。土ぼこりや石膏の破片で覆われている。「私の家族が何で武装していたか、ご覧ください。愛情と教育ですよ」と医師は言った。

それから、ダイニングルームに行った。窓のところで彼は、家の外の砂についている深い跡を指差した。娘さんたちが殺される数日前に、戦車がそこにいたのだという。医師はイスラエルの友人たちに電話をした。戦車は移動していった。

だから、自分たちの家は特に危険というわけではない、と医師は考えていた。イスラエルの要職者が、彼がここに子供たちと一緒に住んでいるということを知っていたのだから。

次に私たちは、娘さんたちが殺された部屋に行った。それは光の入る角部屋で、二面に窓がついていた。攻撃を受けた時のままにされている。

床に散らばる瓦礫のなかを見れば、かつては子供の遊びのための部屋だったのが、子供たちの成長につれて勉強部屋になったのだ、ということがわかる。床には、瓦礫や金属片に混ざって、集めた貝殻やピンク色のヘアブラシ、ベルト、ハンドバッグ、バービーの絵を描いた厚紙や学校の本がある。それらには、乾いた血がこびりついている。

ボーエンはここで、アブルアイシュ医師がいかに娘たちを自慢に思っていたかを書く。みな成績優秀で、一番上のBisanは大学を飛び級して1年早く修了するところだった。何年か前にはピースキャンプに参加して渡米し、イスラエル人の子供たちとも楽しく過ごしていた。また、昨年お母さんが病気で他界してからは、お母さん代わりとなって妹や弟たちの面倒を見ていた。

……この、絵に描いたような「しっかり者で勉強のできるお姉ちゃん」のことを、単身赴任生活を送っていた医師は涙を浮かべて、「男が100人いるくらいに頼もしかった」と語った、という。

最初の砲弾が飛び込んできたとき、Bisanは台所でお茶を入れていた。娘たちは宿題をやっていた。医師は兄(弟)のシハブと話をしていた。

住居が煙と土ぼこりに満たされ、混乱の中、医師は最初はガスボンベが爆発したのだろうと思った。シハブが私に語ったところによると、爆発で彼らは倒れこんだ。彼自身、金属片で負傷していた。彼ら兄弟が立ち上がったとき、Bisanは妹たちの部屋に駆け込んでいった。そのとき、2発目の砲弾がその部屋を直撃した。

医師とシハブの兄弟は娘たちの部屋に駆けつけた。Mayar (医師の娘) とNoor (シハブの娘) は、宿題をやっていた場所で、まだ椅子に座ったままだった。彼女たちの頭は、吹き飛ばされていた。

部屋の天井や壁はまだ子供たちの血や脳が飛び散ったままになっている。

兄弟が部屋に入った時には、床に横たわったAyaは死んでいた。Bisanにはまだ息があった。片方の足は吹き飛ばされていた。助け出したときに、彼女は事切れた。

もうひとりの姪のGhaidarは死んでしまっているように見えたが、身体を引っ張り出すとうめき声を上げた。

もうひとりの娘、Shathaは生きてはいたがひどい怪我だった。片方の眼球が飛び出していた。現在イスラエルで、医師の同僚たちが彼女の視力を救おうと手を尽くしている。

Bisan, Mayar, Ayaの3人の娘さんたちと、Noorは死んでしまった。しかし、あまりにも凄惨だ。

それ以前に、砲撃の前に何ら警告の類がなかったということが――まあ、それがあったとは思ってもいないのだが――、あまりに生々しく伝わってくる。

イスラエルには、砲撃はハマスによるものではないかという人たちもいる。

私は、ヒューマン・ライツ・ウォッチの兵器専門家、マーク・ガーラスコ【注:この人は数年前まで米軍人だった】と一緒に隣の屋根に上った。ガーラスコは、対戦車HE弾の破片を発見した。

建物の裏手からは、砲弾が住居を貫いて作った穴が見える。穴の向こうにはイスラエルの戦車が展開していた丘が見える。砲弾はまっすぐに撃ちこまれている。

つまり、アブルアイシュ医師の家の向こうにあった丘から、戦車がまっすぐにHE弾を撃ってきた、と。

(追記@2月10日:下記の部分、これを書いたときにボーエンの日記とは別に参照した英文についてのメモとごちゃごちゃになっていて、現状ソースが確認できないので、文章の一区切りの部分に一度取り消し線を補っておきます。ご指摘くださった方、ありがとうございます。←日本語がわかりづらくてすみません。)

(再度追記@2月10日:下記の部分、非常に初歩的なミスに基づいた記述であったことがわかりました。このエントリは何日かにわたって手書きメモとパソコンのエディタで書いたものですが、手書きのメモのほうが別々の記事の内容を同じメモ用紙に書いていたのでごちゃごちゃになりました。"been hit by a tank rd [=a tank round] OR art [=artillery] shell = app [=apparently] IDF" と "Garlasco: a.tank rd [=anti-tank rounds]" と書いてあるので混乱したようです。後者は明らかにこのボーエンの記事についてのメモ、前者はどの記事の何のメモなのかは不明ですがボーエンの日記の前に書かれていた報道記事かReliefWeb掲載のレポートをこのメモを書いたときに見ていたのでそのメモです。普通に考えれば“「対」戦車”は戦車に対する攻撃に用いられるものだということは明らかですが、日本語で書いているものの日本語で考えていないのでこういう変なことが起きたのだと思われます。以後気をつけます。すみません。)

対戦車HE弾なら明らかにイスラエル軍だ(ハマスはそんな立派なものは使えない)。それを使ったというのは、コンクリート製の堅牢な建築物を破壊する目的だったのだろうか。(→2月10日修正:上記の通り、まったくの単純ミスに基づいた記述です。あとでもっと丁寧に修正します。)しかしイスラエル軍には事前に、その家は武装勢力の拠点ではないということは伝わっていたはずだ(←追記@10日:医師からの電話で)。砲撃の穴から見える丘に陣地があったのならなおさら、その家が武装勢力に押さえられてはいないということは、監視していてわかっていたのではないか。そういったことが、今後の調査ではっきりすることを祈念したい。せめてそのくらいは。そしてその結果、戦争犯罪の疑いがあれば、それは法の下で裁かれるべきだ。

(追記@10日:イスラエル軍の調査は終わったようです。9日に放送されたBBC Panoramaについてのボーエンの概略記事に But Israel has released a report about the attack on the home of Dr Izzeldeen Abuelaish とあります。ただし、現状、その報告書は私はまだ見ていません。見つけてもいません。それについてはあとで別項として書きたいと思いますが、いつになるかわかりません。)

ボーエンの日記に戻る。
家族の生活の残骸の中に立つアブルアイシュ医師に、私は、まだ平和/和平を信じておられますか、と質問した。

医師は、はい信じています、イスラエルの友人たちもそうです、と答えた。しかし、イスラエルの軍隊と、軍隊に命令を下した人々はそうではないのだ、と。

ボーエンの日記は、いちいち私を固まらせる記述が多い。ゼイトゥンのアハメッドくんの「数学が彼の好きな教科だった Maths was his favourite subject」といい、これといい。

イラクとか北アイルランドとか、それなりにニュースを見てきて、ほとんど常套句と言えるまでによく見るのが、"those who don't want peace" (平和を望まない人々)といった記述だ。オマー爆弾事件であれ、ファルージャであれ、タルアファルであれ、モスルであれ。

それらは通常、「国家」の側から、「テロリスト」の側に向けられる言葉だ。

しかし、それが常にその方向であるわけではない。

この日のボーエンの日記は次のように結ばれている。
私は医師に、イスラエルでは、イスラエルの一般市民に対するハマスのロケット攻撃に挑発された自衛戦争だとの議論がありますがと問いかけた。

彼の答えは医師らしいものだった。ハマスとそれによるロケット攻撃は、数百年にわたる紛争と、パレスチナ人の自由の剥奪によって引き起こされた病の症状なのだ、と。

では彼の診断は? 正しい手当てとは、ガザの無辜の市民を殺すことではない、ということだ。


「ハマスは症状である」というのは、よく目にするメタファーである。ただ私には、このメタファーの「意味」が取れているのかどうか、はっきり確信が持てない。ひとつ確実にわかるのは、「症状(ハマス)を潰したところで根本の病気の治療にはならない」ということだ。

続いて、ジェレミー・ボーエンの29日の日記。この日の分にはアブルアイシュ医師の娘さんたちが殺された部屋の今の写真(APの写真)がついている。小さな写真なので、滅茶苦茶になっているということしかわからない。レスキュー隊のオレンジ色のベストを着た人が、元は女の子たちの家具だったであろうものの中に座っている。

1月29日

昨日ガザを離れ、今はエルサレムに戻っている。

この前の日記(27日)で、イゼルディーン・アブルアイシュ医師のことを書いたが、今朝、私は娘さんのShadhaが治療を受けているテルアヴィヴの病院で、医師と娘さんに会ってきた。姪御さんのGhaidarも同じ病院にいる。二人とも、4人が殺されたときに4人と一緒にいた。二人とも重傷を負っているが、経過は良好なようだ。医師たちも楽観している。

Ghaidarには会わなかったが、Shadhaには会った。彼女は17歳になったばかりで(先週、病床で誕生日を迎えた)、ピンク色のジャージを着てベッドの脇に立っていた。右手は包帯でぐるぐる巻きにされており、右目は眼帯をつけていた。医師たちは彼女の右目と右の手の指を救ったようだ。

今の気分はどうですかと尋ねると、目と手はまだ痛いけれど、痛い思いをしている分、何かがもらえるのだと答えた。

では胸の内は、と訊くと、今はまだ、自分の心の中をあまり見ないようにしている、と答えた。


彼女の目のことは、BBCでこの件について最初にBBC Worldのルーシー・アッシュ記者が書いたときに既に書かれていた。何とか視力を失わずにすむようで、それはよかったと思う。あくまでも、「不幸中の幸い」として。17歳の女の子がこんな喪失を抱え込むのは、それ自体があまりの悲劇だ。

ボーエンの日記の続き。
父親の友人であるイスラエル人医師がお見舞いに来た。彼は、アブルアイシュ医師の家族に何が起きたかを聞いたときは、そんなことがという気持ち (shame) だったということを話した。しかし、ガザからのイスラエルに対するロケット攻撃は受け入れられるものではなく、政府は行動を起こさねばならなかったのだと語った。ただ、もっと短い作戦ならばよかったとも語った。

戦闘(武力行使)が行なわれていた間、私はイスラエルにいて、ほとんどの人たちはイスラエル側の被害のことを(パレスチナ側のそれよりも)ずっと深く懸念している、という印象を受けた。私が話をきいたイスラエル人の多くの考えは、この戦争(攻撃)は合法的な自衛であり、犠牲者はハマスのせいである、なぜならばハマスは一般市民の後ろから攻撃してくるのだから、というものだった。

次の数日、ガザで起きたことについてのイスラエルの見方をもう少し書いていくつもりだ。


そして30日のボーエンの日記。
1月30日

イスラエル人が、イスラエル軍によって何百人ものパレスチナの一般市民が殺されているという事実に気付くのに長くかかったのはなぜか。

アル=メザン人権センター【原文で the al-Mazen centre for human rights: 正しくはthe al-Mezan centre for human rights】は、BBCに対し、1,268人が殺され、うち288人が子供、103人が女性だと語った。また同組織はまだ確証の得られないケースについて調査をしている最中である。

1月18日に攻撃停止(停戦)が双方で宣言されるまでに、イスラエル人は13人が殺された。10人は兵士、3人はハマスのロケットに直撃された一般市民だ。

イスラエル人が広く事態を認識するには、イゼルディン・アブルアイシュ医師の3人の娘さんと1人の姪御さんの死と医師の悲嘆が必要だった。

今日、テルアビブでチャンネル10で仕事をしているジャーナリストたちと会った。彼らは負傷したアブルアイシュ医師の娘さんたちをジャバリヤから退避させるのに尽力した人々だ。

そのひとり、シュロミ・エルダーは、スタジオで番組出演中にアブルアイシュ医師からの電話を受けた。医師の悲嘆が流暢なヘブライ語で語られ、生放送された。

シュロミ・エルダーはチャンネル10でパレスチナについて担当している。(医師からの電話のあと、)彼は同僚で防衛関連の記者であるアロン・ベン=ダヴィドとともに、できる限り、影響力のある人たちに電話で連絡をとった。そして1時間半後には負傷した女の子たちは、エレズ検問所でイスラエルの救急車に運び込まれていた、と彼らは語る。

彼らの把握している限り、非常に一方的だった戦争 (what was a very one-sided war) でイスラエルに運ばれたパレスチナ人の負傷者は、アブルアイシュ医師の家族を除いては、軍によって運ばれた人たちしかいない。

ほかの市民たちはラファ検問所からエジプトに運ばれ、そこからカイロなどアラブ諸国の病院に搬送された。

シュロミ・エルダーとアロン・ベン=ダヴィドは、このケースではほかに例のない要素が重なったのだと述べる。まず、テレビで生放送されたこと。医師がヘブライ語話者だったこと。チャンネル10はそれまでにも医師にインタビューしてガザ内部の様子を聞いており、視聴者になじみがあったこと。

それだからこそ、ガザの4人の女の子の死は、ほかの人たちの死ではできなかった形で、イスラエルのお茶の間に届いた。そしてそのことが、イスラエル人の中にも、パレスチナ側の犠牲についても考えようという人々を生じさせた。


1月21日に、ハアレツのAvirama Golan記者が、怒りをぶちまけるような激しい記事を書いていたが、その点について、ボーエンは上のように書き、そしてさらに当事者に会っている。

ハアレツのAvirama Golan記者の21日記事で書かれていた、「アブルアイシュ医師の記者会見に割って入った3人の兵士の母」に、ボーエンは会って話を聞いている。

今朝、私はレヴァナ・スターンさんにも会ってきた。シェバ病院でのアブルアイシュ医師の記者会見に割って入って、こちらでは新聞一面の見出しになっていた女性である。

スターンさんは、(アブルアイシュ医師が会見を行なった病院に)入院しているお父さんをお見舞いにきていた。負傷した兵士たちを見、その母親たちが泣いているのも見た。だから、パレスチナ人の医師にジャーナリストが大注目しているさまに、キレたのだ。マスコミがイスラエル人よりガザの人に大きな関心を寄せているのはグロテスクだと思ったのだ。


月のダークサイドで「我々か、彼らか Us and Them」、ってな感じ。
http://www.pink-floyd-lyrics.com/html/us-and-them-dark-lyrics.html

後で、彼女は大声を出したことを詫び、アブルアイシュ医師に、お嬢さんを亡くされたことは大変にお気の毒だと思いますと言ったが、それでも、イスラエルは合法的な自衛のための正義の戦争を戦っているのだという考えは今も変えていない。

世論調査によると、この考えはイスラエル人の間で大勢を占めている。だからこそ、一般市民の死者を気の毒に思っても、自分たちの国が間違っているとは思わない。

彼らは、ハマスがロケットを撃っているから起きたことなのだと言う。ガザからのロケットをどうにかしなければならないという強い感情は今もある。

スターンさんは、ガザからのロケットが届く範囲にいる8歳児は、恐怖を感じずに学校に行くこともできないのだと言った。


出発点を「ハマスのロケット」ということにしたイスラエル政府のプロパガンダは大成功だ。

ガザの8歳児は、ガザ地区のどこに住んでいようと、パレスチナの武装勢力の争いと、そして何より、いつあるかわからないIDFの空爆(暗殺作戦含む)や狙撃の恐怖と隣り合わせだ。それどころか、水や薬、食べ物だって乏しいのが常態化している。それも「政府が貧しいし経済も貧しいので買えない」のではなく、イスラエルの封鎖政策によってだ。

ボーエンの日記は、次のように締めくくられている。
It all feeds into the generalised sense of insecurity that many Israelis say they feel. It is a product of their history, and the uncertain future.

そういったことは、イスラエルの多くの人たちが感じていると言う一般化された不安の感覚へとつながる。それは彼らの歴史の、そして不確かな未来の産物である。

It exists despite the fact that Israel has the most powerful army in the Middle East, nuclear weapons, a high-tech economy and the closest possible strategic relationship with the United States, the most powerful country in the world.

それは、イスラエルは中東で最も強力な軍隊と核兵器を有し、ハイテクに支えられた経済が発展している上に、世界で最も大きな力を有する国家である米国と、想定できる範囲で最も緊密な戦略的関係を結んでいるという事実があるにもかかわらず、存在している。

But did the war make Israelis any safer? Levana and her husband don't think so. They believe that will only happen when there is peace with the Palestinians.

しかし、今回の戦争(攻撃)でイスラエルの人々は前より安全になったと少しでも感じているのだろうか。スターンさん夫妻はそうは感じていない。彼らは、パレスチナ人との間に平和が達成されてはじめて、それは現実になる、と考えている。


スターン夫妻の言う「平和」が、単に「彼らが私たちを攻撃してこないこと」でないことを祈りたいが、まあおそらくそうだろう。

そうであるうちは、人々には「症状」しか見えないだろうし、その「症状」こそが原因なのだと錯視して「世論」が形成され続けるだろう。

包囲の心理。

※この記事は

2009年02月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:25 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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