kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月26日

「英語の世紀」に、Globish――そして「英語」(と米語)

しばらく前に、『日本語が亡びるとき』というセンセーショナルなタイトルの本がネット上で話題になっていた。個人的には、「滅びる」ではなく「亡びる」の表記なのはなぜ?とかいう鬱陶しい素朴な疑問が煙幕になって(これは、お読みになった方のレビューによると、漱石の『三四郎』の広田先生を下敷きにしているのだそうですが、漱石@当て字の玉手箱を基準にして漢字表記を決めるってのはある意味で主義主張ですよね)、実際にその本を見ずにいるうちに、ネット上にどかどかとレビューがあふれ、特に「海難記」さんの批評(書評)、「生駒日記」さんの批評といった、『日本語が亡びるとき』という書名と、最も早かった書籍紹介記事での無邪気な「危機感」の表明について、おそらくは私と共通する部分にひっかかりを覚えたであろう方々の書かれたレビューを読んでいるうちに、肝心のその本はどうでもよくなって、この本の引き起こした「議論」ばかりを読んでいるうちに、自分の中でも終わってしまった。この本を読んでも私の知りたいことはどこにも書かれていないと判断したのだ。(冒頭の体験談はおもしろそうではありますが。)

そんなすっかり忘れていたようなことを思い出したのは、今日読んだBBCの読み物記事のせいである。

BBC Radio 4でやっている "From Our Own Correspondent" の1月22日(@フランスから)の内容を、記事の形で書いたもの:

New lingua franca upsets French
Page last updated at 08:04 GMT, Friday, 23 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7844192.stm

「新たなリンガフランカ(世界語、普遍語)がフランス人の逆鱗に触れる」という見出しからは、はいはい、言語戦争言語戦争と思わされたのだけど、それでも釣られてみたら、まあさんざん言われてきたことではあるのだけれども、「英語を第二言語とする人々によって作られる新たな『英語』とは」という内容でもあり(何を今さら……というか、ついこないだも「英語でしゃべらナイト」でやってたよね。たまたま見たんだけど)、それに対するフランス人の態度が(たぶん)表からは見えない偏見たっぷりに(/たぶん)書かれていて、軽く読むにはおもしろい記事だ。

記事はまず、フランスで毎年行なわれているPrix de la Carpette Anglaise (English Rug Prize) という賞への言及から始まる。この「イングランドのドアマット賞」は、自国語を軽んじ、英語を使っているけしからん非国民をあげつらうための賞で(<一応書きそえておきますが、これは私がイングランド寄りのバイアスを強くかけている記述です)、「マルシェ marche」の代わりに「マーケット market」を使ったカルフール(フランス語読み)/カリフォー(英語読み)とか、「フランス語ではロックにならない」と内田裕也のような態度で英語の歌詞で歌うパリのバンド「ネルソン」とか(BBCの人は、「NelsonといえばNelson Mandela...ではなくて、Admiral Nelsonなんだよこの人たちいまだに。まったくやんなっちゃうよね、頭がほにゃららなんじゃないの」ということを、少し遠回しに書いている。イングランド人同士の会話ならさらにここに罵倒と皮肉が5センテンスくらい加わると思う)が大賞候補になっているが、最有力はなんと……というくだり:
しかし、母語に対するあまりにむごい仕打ちということで一番に輝いたのは、高等教育大臣であるヴァレリー・ペクレセだ。

彼女の罪は、マスコミに対し堂々と、ブリュッセルでのEUの会議に出席する時はフランス語は使うつもりはまったくありません、なぜなら、コミュニケーションを最も簡単に取りたいなら英語だということは明白だから、と言い放ったことだ。


単なる合理主義者、プラグマティストじゃん。と思うと同時に、へぇ、サルコジの内閣ってこういうふうなのかぁ、とも思うし、お隣のベルギーは国内の南北の言語がまったく違っていて、国内で民族対立があるから、初対面で「どっちの側」かわかんないときは無難に、とりあえず英語で話を始める、というのもどっかで読んだし(この場合、英語は「中立」の言語。「言語帝国主義」とかではなく)、いやあいろいろあっておもしろいですねぇ、とかなんとか言いながら先を読んでいくわけですよ。

英語のステータスが上がり続けていくことは、ここフランスでは多くの人にとって微妙な話題だ。フランス語は世界語と考えられてしかるべきであると信じているからだ。

言語的優位性をめぐる戦争で英語に勝利を許したとしても、フランス人は自分たちのテリトリーを守ることは当然以前の話だと考えているし、あのおぞましい侵略者とはそっと距離を置いておきたがる。

Prix de la Carpetteの後援をしているのと同じ集団は、法をおかしている(とされる)企業を相手に訴訟を起こしてもいる。例えば、社員への指示書にフランス語版を用意していないとかいった違法行為だ。


イギリス人のわかりづらい「やれやれ」系の、stiff upper-lipの罵倒が。(笑)

そして、ここからが本題、「リンガフランカ」の部分。

個人的には、フランス語を守ろうとしている人たちにはおおいに共感を覚える。ディスクールの形がたったひとつになってほかを潰してしまえば、文化的に、世界は半減してしまうということは本当だと思う。けれども私は現実を見ている。

最近、フランスの多国籍企業で多くの時間を過ごしている私だが、避けられないのは、ここでのビジネスの世界で既に英語が確固たる地位を築き上げているということだ。

フランス人の管理職は、外国人の同僚と一緒に報告書を書き、彼らにメールで連絡し、会話するときは英語だ。さらに、フランス人同士でさえ、英語を使うことが増えている。

……

というところで、Jean-Paul Nerriereさんだ。

ムッシュウ・ネリエールは引退したフランス人ビジネスマンで、ある日仕事をしていたときに素晴らしいことに気がついた。

世界各国の同僚たち(イングランドの人、韓国の人、ブラジルの人など)とのミーティングで、彼は自分とほかの非ネイティヴ英語話者とは100パーセント通じる英語でコミュニケーションを取っていた。しかし、イングランド人は置き去りにされていた。

彼、ジャン=ポール・ネリエールは、韓国人やブラジル人とは、この新言語で話をすることができたし、彼らはお互いに完全に理解しあえていたのだが、イングランド人は、使う言葉が難解すぎ、ほかの人たちには意味が取れないところがあまりにも多すぎて、置いていかれてしまっていたのである。

ムッシュウ・ネリエールは、新たな形の英語が世界中で発達しつつあって、それは英語は第二言語という人たちによって使われているのだ、と結論した。

それは最も美しい言語ではないかもしれない。けれども、今のこの時代は、それなしではやっていけなくなっている、と彼は言う。そしてその言語を「グロービッシュ Globish」と呼び、みなが、特にフランス人がそれを直ちに (tout de suite) 習得すべきだとしている。


こういうことは日本でもよく語られているので、なるほどふむふむという感じで読めると思う。違うのは、フランス語では英語を使うことは非愛国的なことと見なされることがあり(というか、言語法というのがあって英語を使いすぎるのは違法であり)、日本では、多くの場合はそうではない、ということだ(あくまでも「多くの場合は」、というのが現実だということを私は知っているのだが)。

でも、前に「話題になっている」っていうのでYouTubeで見たフランスの国鉄のテレビCMは、英語の曲を使ってたんだったんだけどね。(とてもかっこいいCMで、音と映像がぴったり合っていたので、フランス国内でも同じ英語の曲を使ってたんじゃないかな、たぶん、と思いますが。)

記事は続く。
ムッシュウ・ネリエールは新著『英語は絶対話すな、グロービッシュでいこう (Don't Speak English, Parlez Globish)』において、ルールを定めている。

グロービッシュには1,500語しかない。その言語の話者は、ユーモアとかメタファーとか略語とか、文化間で混乱を引き起こす可能性のあるものはすべて、避けなければならない。

話す速度はゆっくりと、そしてセンテンスは短く。おもしろいことに (Funnily enough)、ネリエール氏が非常に優れた例として引き合いに出しているのは、パレスチナの指導者、故ヤーシル・アラファトだ。


いいじゃん、アラファトなら。ていうか、サルコジでなくていいじゃん。そんな「サルコジ」@I just LOVE killing those animals! I'd love to go as long as we don't bring Vice President Cheney, hahaha! に騙されたサラ(<ネイティヴ英語……米語話者だけど)でもないし。

閑話休題。記事は続く。
フランスでは多くの人々が、おぞましい英語 (Anglais) を宣伝して回っているムッシュウ・ネリエールは売国奴だと考えているが、彼自身はそうではないと言う。

彼は、フランス人は言語戦争に敗北したということを認識しなければならない、と述べる。

「燃えた後の灰に小便をかけているだけですよ」と彼は言う。グロービッシュのことを、アングロサクソンの連中 (les Anglo-Saxon) の勝利の文化的媒介物としてではなく、道具として見るべきだ、と彼は言っているのだ。つまり、必要不可欠だが、完全に実用上のものだ、と。


はっはっはっはー。フランスで英語話者がいじめられているという点は別として、「新たな英語」として「1,500語」だの「ユーモアもメタファーもなし」だの言われた挙句、「完全に実用上のもの」と言われたら、英語話者は (^^;) ←という顔になる。たぶん。

そして次のようなことで記事は締めくくられている。

結局のところ、グロービッシュが本当に、その伸びしろのなさそうなビジネスのことば、その機微というもののない平凡さ、その文化のない誰でも使える性質で地球を覆っていくのなら、本物の英語はどうなってしまうのだろうか。


つまり、「英語の世紀」のあとは『(本物の)英語が亡びるとき』、立場を変えれば。

※特にUKではこの強迫観念はけっこうあって(アメリカニズムとのややこしい関係)、60年代に書かれた「文章読本」みたいなの(古本で買ったのを何冊か持ってるのだけど)を読んでると、うはぁと思うくらいに警戒心がむき出しになっている箇所があったりする。



Globishについては、英語版ウィキペディアのExternal linksがまとまった情報源になっています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Globish

BBC記事に出てくるムッシュウ・ネリエールは元IBMでアメリカで仕事しておられた方で、2004年にGlobishのコンセプトをまとめた人。

Globishの例としては:
Don't say Globish is the gateway to international conversation
Do say Globish helps you to talk to people from other countries
http://www.globish.com/AboutGlobish/tabid/56/language/en-US/Default.aspx

つまり、日本での感覚でいうと、「中学英語でいいから、言いたいことを表せるようになろう」という感じですね。



ついでにもうひとつ。

英語のフレーズを字義通りに解釈したらどうなるか、という爆笑記事。とにかく文章がうますぎる。

Just don't say the J word
Jon Canter
The Guardian, Monday 26 January 2009
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/jan/26/comment-jobs-recession
Polite society. Can it survive? When two strangers meet, one says to the other: "Nice to meet you. So, what do you do?" So, what do you do when people ask you what you do? I shift from side to side and look for answers in the small red pool of my glass of wine.

紳士の社会。それは生き残れるのか。そこでは初対面の相手にはこう言うしきたり。「はじめまして。ところで、何をなさっているのですか? (お仕事は何を?)

で、誰かに何をしているのかと訊かれたときにあなたはどうします? 私の場合、椅子の中でもぞもぞと動いて、グラスに注がれた赤ワインの中に答えを見つけようとします。


筆者は30年もフリーライターをしてきた人で、ラジオの仕事をしたりテレビの仕事をしたり、小説も書いていて、つまり一言では言い表せない仕事内容。でも相手は、例えば「歯医者です」のような端的な答えを求めている。そういうときに長々と「実はですねぇ、かくかくしかじかこういう内容のドキュメンタリーはおもしろいんじゃないかと思ってですね」と答えても話はかみ合わない、ということが書かれている。

そしてお茶ふきポイント:
Suddenly, we are in business. That's why Margaret Thatcher never said that there was no such thing as polite society. She knew all big talk starts small.


※サッチャーは、実際には、There's no such thing as society. と発言しています。

んで、「何をなさっているんですかという質問には、地位の高い人ほど、詳細を述べる必要がない。例えば私が質問した相手が法務長官ですよと答えたら、私は黙ります。法務長官が何をしているのかは知っていて当然なのだし、いちいちアホみたいに細かいこと訊きません」……って、例が極端なんだってば。(笑)

このあとにまたどうでもいい話が続いていて、ここがまた爆笑ポイント(教皇とか)。それから、実際は学者で政策決定の仕事もしている友人は、「何をなさっているのですか」には「最近は絵をたくさん描いています」と答えているが、それは彼女には「人間は職業で判断されてはならないから」という考えがあるからで(これは実際には、それ自体が地位の高い人やインテリの振る舞いだと思うけど)、なんちゃらという話があって、また法務長官が出てくる。何でだ。(笑)

あと、「最近刑務所に行ったのだが、刑務所で初対面の人に What do you do? とは訊けない」とか(そこは、たぶん、polite societyじゃないよー)、「実際に訊きたいのはどんな罪で服役しているのかだが、そこで "Burglaries, mostly" (だいたい、泥棒だね)とか答えられたら、mostly(だいたい)って何だろうと気にかかってしょうがない」とか、もうね。

そして、「刑務所を立ち去って車に乗ってラジオをつけたらリセッションの話ばかり。このご時世ではうっかり "Nice to meet you. So, what do you do" という決まり文句も口にできない、いっそ過去形にして "Nice to meet you. So, what did you do?" と言うのが polite society としては無難なのかもしれません。というか刑務所でもそう言いたかったんですが」という結論。

「意味」が表層雪崩を起こしていく。

これに対するコメント、まずセールスの仕事の研修担当だった人から:
It's now safer to say 'How much has Gordon stolen from you?'.
いやぁ、今は「ゴードンにいくら盗まれました?」が無難でしょう。


別の人:
When asked that question I usally reply "breath, mostly".

"What do you do?" と訊かれたら、「たいがいは呼吸してます」と答えていますが、何か。

(本筋としては、「仕事は何を」とか訊いてくるのは優越感ゲームだから、つっけんどんにしておけば寄ってこないし、という話。)

で、この人のスペルミスに対して:
From your spelling, I'd presume you must be a teacher.

スペリングから判断すると、あなた学校の先生ですか。

これは性格悪すぎ。(笑)

あと、これ。
So what do you do?

God, I hate that question. It is so impolite; so American.

So what do you do? だって、勘弁してください。すごく失礼な響きです。もろにアメリカンで。

この人は、「ちょっと気分がいいときは『退屈なコンピュータ関連の仕事ですよ』と答えますが、そうするとたいがいは相手は石のように押し黙ります」と続けていて、それにさらにツッコミ:
Ah, the real reason you hate the question ... it makes you realise you don't have an interesting answer :)

あー、わかった、本当の理由は……俺にはおもしろい答えが言えないって思い知らされるからでしょ。


あと、今にもクビになりそうだという人が「正直に答えると気まずい空気になる。何とrudeな俺」と書いてるのもちょっとツボります。光景が目に浮かぶ。っていうか、マーヴィン……?

26 Jan 09, 6:17am の macwilm さんのコメントは、ちょっといい話です。

"What do you do?" というどえらい基本語の組み合わせから、こんだけ話が広がるのが「英語」だなあ、と思います。言語の背景にある「ユーモア」や「ユーフェミズム」や「メタファー」といったものも含めて。



なぜかこの曲が頭をぐるぐるし始めました。
http://ie.youtube.com/watch?v=R_YX7hsaJz0
I don't wanna holiday in the sun
I wanna go to the New Belsen
I wanna see some history
cause now I got a reasonable economy

Now I got a reason, now I got a reason
now I got a reason and I'm still waiting
Now I got a reason now I got reason to be waiting
the Berlin Wall

言葉はここにあるのに、意味がない……

ベルリンの壁ももうありません、20年も前から。

※この記事は

2009年01月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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