kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月21日

【ガザ攻撃】IDFによる一般家屋への砲撃で、3人の娘たちが殺された。父親はイスラエルで仕事をする医師だ。

写真では、40代か50代のひとりの男性が嘆き悲しんでいる。家族をイスラエル軍の攻撃で失ったパレスチナ人の男性だ。しかしこの男性の「嘆き」は、彼以外の多くのパレスチナ人の「嘆き」とは異なる意味を持っている――特にイスラエル人にとって。

そういう方向で書かれている記事がBBC Newsに上がっている。BBCワールド・サービスのルーシー・アッシュ記者の19日記事、「イスラエル人の胸をしめつけるガザの医師の喪失」:
Gaza doctor's loss grips Israelis
Page last updated at 18:15 GMT, Monday, 19 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7838465.stm

男性はイゼルディーン・アブルアイシュ医師 (Dr Izeldeen Abuelaish)。記事を書いたルーシー・アッシュ記者は、8年前に彼の活動についてのラジオのドキュメンタリー番組、"Crossing Continents: Gaza Israel from 2001" を制作した。(BBCの記事の末尾のリンクから、この番組を聴くことができる。)

アブルアイシュ医師は不妊治療を専門とする産科医で、自宅はジャバリヤ難民キャンプにある。

ジャバリヤ難民キャンプは、今回の攻撃(キャスト・レッド作戦)でものすごい攻撃にさらされた地点のひとつだ。なお、書くまでもないことだが、「難民キャンプ」というと震災などの後のテント村や仮設住宅のようなものを連想させる響きがあるが、パレスチナの難民キャンプは「そこに住む人たちにとって本来の家・街ではない」というような意味である。建設されてから数十年も経過した「難民キャンプ」は、意味はともかく事実上は世界のどこにでもあるような「住宅密集地」だ。たぶん、東京で私が住んでいるエリアのような、徒歩15分の範囲に無数のマンションとアパートと団地と一軒家が入り乱れ、商店街があり、学校や幼稚園や病院・診療所などもあって、お寺や神社もあり、という感じのところだろう(美しく整備されたお屋敷街ではなく)。自分の目で見ていないから「だろう」と書くけれど、「である」と書いたっていいくらいだ。

ここは過去にも何度もイスラエル軍の攻撃にさらされている。私が「ジャバリヤ」という名前を知ったのも、そういった攻撃を伝える文章によってだ。(ちょうど、自動車爆弾事件でOmaghという都市の名前を知ったように。)例えば、2004年10月の攻撃についての文章(翻訳は山田和子さん):
http://www.onweb.to/palestine/siryo/ntgaza-10oct04.html
いつものように、ジャバリヤでは人々が殺される
Killing in Jabalia, "As Usual"

サーミー・アブ・サレム、ジャバリヤ難民キャンプ
Sami Abu Salem
2004年10月10日

 今朝、僕は、台所で朝食の支度をしていた。母と僕の住んでいるアパートは、ガザ地区北部、ジャバリヤ難民キャンプ(人口10万6000人)のアル・ホラーファ・モスクの近くにある。キャンプ上空では、もう10日以上にわたってイスラエル軍の攻撃ヘリの轟音が途切れることなく続いていた。

 ティーポットをテーブルに運ぼうとした時、いまだかつて経験したことのないすさまじい爆発が一帯を揺るがした。窓ガラスが吹き飛び、母が僕に向かって大声で呼びかけた。僕は全身が凍りつき、母の呼びかけには答えずに、隣近所の子どもたちの叫び声を聞きながら、立ちつくしていた。僕が怪我をしたか、あるいはもっと悪いことが起こったと思ったのだろう、母は恐ろしい叫びをあげた。僕はティーポットを放り出して母に駆け寄った。僕が無事だとわかるや、母は深い息をついて僕を抱きしめた。

 ……(爆発の)現場に着くと、とてつもない黒い煙の柱が空に向かって立ちのぼっていた。埃の雲と黒い煙があたりいっぱいに広がって、何も見えない。何も見えないまま、誰もが、今にもイスラエル軍の次のミサイルが襲ってくるかもしれないという恐怖でいっぱいになっていた。……

 少なくとも4軒の家が完全に破壊され、家があったところには巨大な穴が開いていた。……

 ほかにも何十軒もの家が損傷を受けていた。……

 誰の顔にもショックと驚きが刻まれていた。何人かに、正確にはどういう状況だったのかと聞いてみたところ、ほとんどの人が、攻撃ヘリがミサイルを撃ち込んだんだと答えた。

 ショック状態にある近所の住人たちは誰も、完全に破壊された4軒の家のうち、ターゲットとされた家はどれだったのか、断定することはできなかった。……


こういったことがイスラエル軍によって自分の「街」に対して行なわれている間も、イゼルディーン・アブルアイシュ医師はイスラエルに対する「憎悪の連鎖」の一部になったりはしていなかった。彼はガザ地区で診療所を開き、医学校で教えるかたわら、イスラエルの病院にパートタイムで勤務し、イスラエル女性の不妊治療に当たっていた。また、重病のパレスチナ人をイスラエルの病院に移送して治療を受けさせたりもしていた。

BBCの記事にはあまりはっきりと書かれてはいないけれども(女子学生が彼に、イスラエル人が子供を作ることを助けているなんて、その子供が成長して人殺しをする兵士になったらどうするんですか、と詰め寄った、と書かれてはいるが)、「紛争」(暴力を伴う政治的対立)のある場所で、あるコミュニティの一員が「あっち側」とつながっていることは簡単なことではない。何もなくても「内通者」と見られることが多いからだ。例えば北アイルランドでも「内通者」をめぐる陰惨な出来事は何件もある。銃撃戦で路上に倒れていた英軍兵士を介抱したカトリック・コミュニティの女性が「内通者の疑いがある」としてIRAによって拉致され、拷問を受けて殺され、遺体がどっかに遺棄されたまま30年以上も経過したり。(→この件、詳細は2008年11月の当ブログのエントリで。)

ガザ地区とイスラエルの場合は、例の「国境の検問所」(パレスチナは「国」でないときに「国境」という用語もどうかとは思うが、便宜上この言葉を使う)という存在がある。1980年代の日本の入試のごとく、「通す」ことではなく「通さない(ふるい落とす)」ことを目的としているんじゃないかというこの検問所を、アブルアイシュ医師はいつも堂々と、忍耐強い態度で通っていた、とBBCの記者は書く。

BBC記者がラジオ番組を制作した2001年、アブルアイシュ医師がパートタイムで働いていたイスラエルの病院のIVF(体外受精)科の責任者は、アブルアイシュ医師のことを「イスラエル人とパレスチナ人の間の、不思議な秘密の橋 (magical, secret bridge)」だ、と述べていた。

番組を制作したあとも、このBBC記者はアブルアイシュ医師と連絡を取っていた。その間、医師はパレスチナの外でいくつもの職を経験し、研究活動にも参加した。日本のマスコミが好む、「国際舞台で活躍する」とか「世界に認められる」という表現がしっくりくるような不妊治療のエキスパートなのだろう。

2008年9月には、アブルアイシュ医師はEUのプロジェクトでアフリカでの仕事を始めようとしていたが、夫人が白血病にたおれ、パレスチナに戻った。ほどなくして夫人は他界、アブルアイシュ医師には3歳から20歳までの8人の子供が残された。

2008年12月27日、イスラエル軍のキャスト・レッド作戦が開始される。BBC記者はBBC Worldの番組で、医師に状況を聞く。医師は「窓ガラスがすべて割れてしまっていて、砲火の音がそこらじゅうから聞こえてくる。子供たちの安全が心配だ」とインタビューに答えた。それでも、医師とその子供たちはジャバリヤ難民キャンプの一角であの激しい攻撃を堪えていた。

そして先週金曜日(16日)の午後、つまりイスラエルによる「一方的攻撃行為停止」が宣言される前日、医師の自宅をイスラエルの砲火が襲った。

"My daughters were just sitting quietly talking in their bedroom at home," Dr Izeldeen Abuelaish told me on the phone between sobs.
「娘たちは、寝室で小さな声でおしゃべりをしていたんです」とアブルアイシュ医師は、声を詰まらせながら、電話で語った。

"I had just left the room, carrying my youngest son on my shoulders. Then a shell came through the wall.
「私はちょうど、一番下の息子を肩に乗せて、娘たちの寝室から出たところでした。そのとき、1発の砲弾が壁を突き抜けてきたんです」

"I rushed back to find their dead bodies - or rather parts of their bodies - strewn all over the room. One was still sitting in a chair but she had no legs.
「大急ぎで戻ると、娘たちの死体が――というより、娘たちの身体がばらばらになったものが――部屋中に。ひとりはまだ椅子に腰掛けた状態でしたが、両脚がなくなっていました」

"Tell me why did they have to die? Who gave the order to fire on my house?"
「なぜ娘たちが死ななければならなかったのですか。誰ですか、うちに砲撃を命令したのは」

In a voice cracked with emotion, he added: "You know me, Lucy. You have been to my house, my hospital; you have seen my Israeli patients.
たかぶった感情に声が割れている。「ルーシー、あなたは私のことをよく知っているでしょう。うちにも来たでしょう、うちの病院にも。イスラエル人の患者さんにも会っているでしょう」

"I have tried so hard to bring people on both sides together and just look what I get in return."
「双方の人たちを一緒にしようと、私はこんなにもつくしてきた。それなのに、その見返りはこれですか」


アブルアイシュ医師は、8人の子供のうち、20歳のBisanと15歳のMayar、13歳のAyaを殺された。17歳の姪、Nurもこの攻撃で殺された。姪がいたということは、親戚がアブルアイシュ医師の家に避難してきていたということだろう。

20歳のBisanは経営学方面の学位を取得中で、6月に卒業を控えていた。BBCのアッシュ記者がアブルアイシュ医師の自宅を訪れたとき、Bisanはこの英国人女性を相手に英語を披露した、という一節が、この女の子が勝気で利発で、いわば「上昇志向」の強いタイプの子だったのだろうということをうかがわせる。
Bisan was a cheeky, bright-eyed girl, keen to show off her English and read aloud from her school text book.


アブルアイシュ医師はヘブライ語を流暢に話し、キャスト・レッド作戦が始まってからは、テルアビブのテレビ局の非公式特派員として、毎日電話で状況を説明していた。イスラエルの爆撃にさらされたパレスチナの民間人がいかに苦しい状況にあるのかを、できるかぎりたくさん伝えようとしてきた。そして自宅が砲撃にあって数分後、医師は局の番組キャスター、Shlomi Eldar(シュロミ・エルダー)に電話をし、何があったかを話した。

The Israeli journalist looked awkward and visibly distressed as the doctor's disembodied voice is broadcast crying: "My daughters, they killed them, Oh Lord. God, God, God."
医師の魂の抜けたような声が放送されている間、このイスラエル人ジャーナリストは硬い表情をしていた。苦悩しているのが傍目にもわかったほどだ。「娘たちが、あの人たちが殺した、ああ神さま」

Mr Eldar mobilised his contacts in the Israel military to open the border and fly the injured girls by helicopter to the Tel Hashomer Medical Centre, the largest hospital in Israel.
エルダーはイスラエル軍にいる連絡先を動かし、国境を開いて負傷した娘たちをヘリでテル・ハショメール医療センター(イスラエル最大の病院)に搬送させた。


この放送後、視聴者からの無数の電話が局に寄せられた、とこのBBC記事は報告している。番組キャスターのエルダーさんは、「この放送がイスラエルの世論を変えることになると思います。一般のパレスチナ人がこの紛争でどれほど高い代償を払っているか、今回初めて知るという視聴者がいるのだ、と感じられます」とBBC記者に語っている。

ヘリで搬送されたアブルアイシュ医師の娘さんたちは治療中である。17歳のShadhaは爆発にやられた目の手術を受けた。この手術で右目が助かるかもしれない、と記事に書かれているが、左目のことは書かれていないし、そのほかのことも書かれていない。12歳のDaidaは砲弾の破片で負傷し危篤状態。

イスラエル軍のスポークスウーマンは、この件は調査中であると述べた上で、「現状では、家屋を砲撃するときはその家の近くから攻撃されているからだということしか申しあげられない。狙撃手がいた可能性があるが、それも確定情報ではない」としている。

アブルアイシュ医師は、自宅にミリタントが潜んでいたとか、そこから攻撃を行なっていたとかいうことを否定している。

「イスラエルとの架け橋」として活動してきた彼が、ハマスであれイスラム聖戦であれ何であれ、「反イスラエル闘争」を行なう武装勢力と近い関係にあるとは考えられない。

さて、インディペンデントがこの記事について追加取材を行なっている。具体的には、イスラエルのテレビ局のキャスターが「この一件でイスラエルの世論が変わるかもしれない」と述べている点について。

'My daughters, they killed them': Doctor shows Israelis horror of war
By Ben Lynfield in Tel Hashomer, Israel
Monday, 19 January 2009
http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/my-daughters-they-killed-them-doctor-shows-israelis-horror-of-war-1419286.html

※この記事では医師のお名前の綴りがDr Izz el-Deen Aboul Aishとなっているが、BBCは音(文字)を分けずに書き、インディペンデントは分けて書いているだけで同一人物。

インディペンデントの記事は次のように書き始められている。
Like the shellings of UN-run schools and a major hospital in Gaza City, the Israeli public might have regarded the deaths of his three daughters as just more collateral damage in an ugly but justified war, if they noticed it at all. But Dr Izz el-Deen Aboul Aish is a gynaecologist at Israel's Shiba Hospital near Tel Aviv, and is well known among Israeli medical colleagues and journalists.

国連が運営する学校やガザ市の基幹病院への砲撃のように、イスラエルの一般国民は、もし仮にそれに気付いたとしても、彼の3人の娘たちの死もまた、醜いが正当な戦争でのコラテラル・ダメージだと見なしていたかもしれない。しかしイズエルディーン・アブルアイシュ医師は、テルアビブ近くのシーバ病院の婦人科医で、イスラエルの産婦人科の医師たちやジャーナリストの間では広く知られた人物だ。


そして、このキャスト・レッド作戦中にアブルアイシュ医師がイスラエルのメディアで現地から情勢を伝えていたこと、金曜日の夜にイスラエルのチャンネル10での生放送の電話インタビューが予定されていたが、その直前に自宅への砲撃で娘さん3人を殺されたこと、彼の生々しい肉声がはじめて、イスラエルの人たちに、パレスチナの一般市民の苦しみと死をわからせたということが書かれている。

BBCのアッシュ記者の記事にも出てきたイスラエルのテレビ局のキャスター、エルダー氏は、番組で何度もアブルアイシュ医師とシーバ病院のつながりに言及し、帯電話を差し出して(たぶんマイクのほうに)、その「声」を、イスラエルのお茶の間に届かせたのだそうだ。

"I want to save them but they are dead," Dr Aboul Aish said. In a video of the interview, available on YouTube, the physician can be heard imploring for help while a shaken Mr Eldar pleads on air for anyone in the army who might be viewing to let ambulances reach the Aboul Aish home in the Jebalya refugee camp. "Maybe something can still be saved," he said.

「助けたい、でも死んでしまっている」とアブルアイシュ医師は言った。このインタビューのビデオはYouTubeにアップされているが、そこで医師はどうか助けてください頼みますと言い、エルダー氏は震えながら放送で、軍にいるどなたかがもしこれをご覧になっていたら、救急車をジャバリヤ難民キャンプのアブルアイシュ医師の家に行かせてください、と言った。「今でもまだ間に合うかもしれないのです」


インディペンデントのこの記事は、これを「美談」に仕立て上げることを許さない。上に引用した箇所のすぐ下に、「彼は有名なので、娘たちと兄弟はすぐにイスラエルに移され、治療を受けている。ほかのパレスチナ市民は何日も、治療を受けられずに過ごしてきた」と書かれている。

そしてたたみかけるように:
But it was not just the death of his three daughters, Bisan, Mayar and Aya, 20, 15 and 12 respectively, that left Dr Aboul Aish in anguish yesterday. It was the feeling among some Israelis that he, like many other Gazans who have suffered in the violence, is being blamed for his own tragedy. At Shiba Hospital near Tel Aviv, where a surviving daughter, Sheda, 17, is being treated for shrapnel in the eye, the doctor repeated yesterday that there were no Hamas gunmen firing from his house, as the army suggested yesterday, when two shells hit a bedroom. The army is also saying the UN compound and the hospital were used by gunmen or they were nearby.


つまり、医師のこの苦悶の原因は3人の娘を殺されたことだけでない。イスラエル人のなかには、アブルアイシュ医師もまたほかのパレスチナ人と同様に、本人のせいでそういう目にあったのだという感覚がある、ということ。つまり、「ハマスがいたんだろ」という意見だ。その前提は、「そうでなければ一般家屋なんか攻撃しない、何の得もないから」ということだろう。そして結論は「悪いのはハマス」。実際にこの女の子たちを殺した砲弾を放ったのはハマスではなくイスラエル軍なのに、「自分たちは悪くない。悪いのはハマス」。あるいは「これが『戦争』だ」。(法的にいう「戦争」なら、民間人は攻撃してはならないのだが、こういうときの「戦争」は法的にどうとかいうのとはまた別な、慣用表現としての「戦争」。)

実際に、BBCの記事にもあったが、軍はその可能性を強く示唆している。国連学校に対する攻撃でも、UNRWA事務所に対する砲撃でも軍はそう言い、国連学校(の少なくとも1件)については「間違いだった」と認めているが、誰がどう見ても白燐弾を使っていて、しかもM825A1だという証拠写真まであるのに「白燐弾は使っていません」(後にトーンダウンして「兵器について個別具体的な話はしません」)と言い張るということがイスラエル軍のやっていることだ。ジェリー・アダムズが ほにゃらら の一員ではなかったと信じるほうが、まだ簡単だ。

アブルアイシュ医師は、「ハマスがいたんじゃねぇの」的な意見(イスラエル軍スポークスマンのコメントもその一部)に対し、その可能性はないと断言し、そして次のように述べたとインディペンデント記事は伝えている。
"... They should just admit they made a mistake. There is no shame in making a mistake, but don't deceive the nation," he said in Hebrew.

「とにかく、間違いをおかしたと認めるべきです。間違いをおかすことは恥ずかしいことではないのですから。しかし、国民を欺いてはいけない」とヘブライ語で述べた。


アブルアイシャ医師をよく知っているベン・グリオン大学医学部の学部長は、「ひどい悲劇だ」と述べ、「私はスナイパーがいたかどうかは知らないが、アブルアイシャ医師のことはよく知っています。ガザの平和の人 (man of peace) の自宅をなぜ砲撃したのか、調査される必要があります」と語っている。

記事はこのあと、イスラエルのメインストリームのメディアは軍の説明(ハマスが一般市民を人間の盾として使っている、というもの。つまり一般人の家屋を盾にして攻撃している、というもの)を額面どおりに受け取っていて、パレスチナで非常に多くの一般市民がイスラエルの攻撃で殺されていることについてはごく軽く触れているだけだといった実情が書かれている。

というか、私は英メディアを見ているが、civilianをcivilian casualtiesにしているのが「イスラエルの攻撃」であること、「イスラエルの弾丸、砲弾、爆弾」で彼らが殺されているということは、まあわかりきったことではあるのだけれども、刺さるような形では書かれていない。An IRA car bomb killed one man. とか、A suicide attack on a bus killed five passengers, injuring many more. とかいった形では書かれていない。このインディペンデント記事にしたってそうである。あまりにわかりきったことだからそうは書かないのだということはあるのだけれども、「そのパレスチナ人が死んだのはイスラエルのせいだという証拠でもあるのか? ハマスは過去に誤爆でパレスチナ人を殺しているじゃないか」という英語の書き込みを、どこかでちらっと見てしまったので、そういうことも書きたくなった。

インディペンデントの記事の最後は:
The general lack of interest in Palestinian civilian casualties stems from Hamas rocket attacks on southern Israel, says Yossi Sarid, former head of the liberal Meretz party. He believes public opinion is unlikely to change despite Dr Aboul Aish's tragedy.

"The window has been opened narrowly to the other side. But support for the war is overwhelming. People were tired of watching the towns in the south be shelled, so there has been almost no critical view of events."


the towns in the south be shelledとあるが、「ときどきカッサムが飛んできますが、多くの場合は人的被害はありません」という状態をshelledと表す時点ですでにおかしい。包囲しているのはイスラエル(の国土と人々と軍)なのに、イスラエル人のほうが包囲されていると感じているのだろう。

そして、殺す俺が悪いんじゃない、殺させるお前たちが悪いのだ、と。



ジャバリヤのこのお医者さんの家が砲撃され、娘さんたちが亡くなったというこの記事を見たときに、思い出した記事があった。探してみたら、大月啓介さんのブログの記事だった。

2008年03月16日
元兵士たちの対話 (下) : 試される非暴力の信念
http://sawa.exblog.jp/8178443/

信濃毎日新聞に掲載された大月さんの記事。リンクをクリックして読んでいただきたいが、URLを置いておくだけではほとんど誰もクリックしてくれないので、出来事として記事の要旨だけ。

ヨルダン川西岸地区、ヘブロン出身のバッサムさん(39歳)は、13歳から占領に対する闘争(インティファーダ)をやってきて、17歳で逮捕・投獄され、ヘブロンにあるイスラエルの刑務所で7年を過ごした。獄中で、「敵」でしかなかったユダヤ人にこれまで何が起きてきたのかを初めて知り、看守と対話をするようになった。

この看守はイスラエルが無理やり建設したユダヤ人入植地に住んでいる人で、彼にとってもパレスチナ人は「テロリスト」でしかなかった。しかしバッサムさんと話をすることで、看守は「パレスチナ人もこの地で生きる権利があることに同意した」。

こうして、「『対話を通して、敵が仲間になり得る』」 こと」を刑務所で経験したバッサムさんは、24歳で釈放されたあとは、武装闘争に関わることなく過ごしていた。

そして2005年、バッサムさんは「元イスラエル兵との対話」 に誘われた。この活動が翌2006年にCFP (Combatant for Peace) というイスラエルとパレスチナ双方の「元闘士・兵士」たちによるグループの結成につながった。最初はお互いに警戒していたが、「集会を重ね、それぞれの経験が率直に語られるにつれ、不信感は薄らいだ」。

このようにしてひとつの「架け橋」が築かれた。CFPのメンバーのひとりのイスラエル人青年イタマルさんは、2006年のレバノン攻撃に予備役として召集を受け、最初はばりばりに警戒していたパレスチナ人の元「テロリスト」であるバッサムさんに相談して、最終的には召集を拒否するという判断をした。

ここまでなら「美談」かもしれない。「勇気をもらえるちょっといい話」にすらなるかもしれない。けれども「占領」は続いていた。

2007年1月、バッサムさんの小学生の娘、アビールさんが、「イスラエルの国境警察が放ったとみられる銃弾で瀕死の重傷を負った」。2日後、アビールさんは亡くなった。10歳だった。

アビールさんが負傷したとき、イタマルさんは病院に駆けつけ、イタマルさんの側についていた。
バッサムは毅然と振る舞い、憎しみや復讐を口にすることはなかった。 「これまで語ってきた、非暴力の対話への信念が本物かどうかが試されている」 と彼は言った。

……

イタマルは自問した。 「占領と紛争が続く中での非暴力の対話。今まで、この活動は成功していると思っていた」。だが、自国の軍は、平和を求めるパレスチナの友人の娘を奪った。これからも同じことは起き続けるだろう。


大月さんのこの記事には「上」がある。それも掲載されている。
http://sawa.exblog.jp/8151984/

エルサレムで起きた自爆で妹を失ったエリックさん(CFPの一員)が次のように語っている。

「妹はユダヤ人で、イスラエル人で、ここで暮らしていたから殺された。 この地の政治状況の一部として殺された。そして、その死と遺族の痛みは利用され続けている。パレスチナへの分離壁の建設や暗殺作戦や道路封鎖を正当化するために」。深い喪失感のなかで、なぜ妹は死んだのかと問い続けたエリックは、そう思い至る。


2001年9月11日のあと、Not in our name. というフレーズがネット上で多く語られた。イラク戦争前には英国でのイラク戦争反対の運動がこのフレーズを使っていた。

Not in our name. 今回のガザ攻撃では聞かれないフレーズのひとつだ。



身体と脳が最大限まで「アメリカ」を拒絶しているので、「アメリカ英語」が聞けず(音楽でさえも聞けない。NINでさえも)、オバマ就任の華やかな儀式が映像や音声で伝えられるのは一切見ていないのだが、Sluggerでブライアンさんが実況しているのを見てみたら、就任演説でこんなこと言ってるんだってね。
We will not apologize for our way of life, nor will we waver in its defense, and for those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents, we say to you now that our spirit is stronger and cannot be broken; you cannot outlast us, and we will defeat you.


Who are these people, "those who seek to advance their aims by inducing terror and slaughtering innocents"?

Not the Israelis, right? They are just "teaching a lesson" to Palestinian militias, namely Hamas, who use civilians as human shields.

RUBBISH. They are just killing hope, again.



22日追記。
はてなブックマークで教えていただいた映像@NYTのサイト
解説の音声は英語です。元の音声はヘブライ語と部分的にアラビア語、英語。入院して手術を受けた娘さんは、右目にだけ眼帯があるので、左目は大丈夫なのだろうと思います。あまりに悲痛な映像で、しかしこの悲痛さがこのような形で(NYTで英語字幕つきで)「世界」に伝えられるケースは、まずないのだろうと思います。

NYTが編集した映像の最後で、アブルアイシュ医師は「私の娘で最後にしてください」とおっしゃっています。

これが、何度繰り返されてきたでしょう。世界の各地で。

How long, how long must we sing this song?

なお、この悲劇には続報があります。イスラエルでの反応(ハアレツ、Avirama Golan記者の記事)についてです。下記URLからどうぞ。
http://nofrills.seesaa.net/article/112995793.html

ほんの少しだけ抜粋しておきます。
輝かしい軍事的功績として見せられるものしか追ってこなかった多くのテレビ視聴者が、彼の喪失に涙を流した一方で、レヴァナ・スターンという女性が――3人の兵士の母親であるがゆえに、いついかなる場合もひどい口の聞き方をしてもよいと許可を与えられているかのような女性が、声をあらん限りに振り絞って記者会見に割って入った。


※この記事は

2009年01月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:30 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「憎悪は毒物です。人を内部から焼く火です」――自宅への砲撃で娘3人を殺されたイゼルディーン・アブルアイシュ医師
Excerpt: アブルアイシュ医師が、3人の娘と1人の姪を一度に殺されたこの体験の中から、希望と和解のメッセージを中心にすえた本を書いていた、ということを、8月15日のガーディアン/オブザーヴァーの記事で初めて知った..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2010-08-16 08:05





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼