kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月20日

【ガザ攻撃】「最終的に死者数がはっきりするまでには日数がかかるでしょう」――ガザに入れたジャーナリストの伝えること (2) BBC, テレグラフ、タイムズ


イスラエル軍の攻撃で破壊された孤児のための学校。ラファ。2009年1月12日。
*a CC photo by Rafahkid. Taken on January 12, 2009


さっきざっと一覧にしたガーディアンに続き、戦闘行為停止後にガザ地区にジャーナリストが次々に入ったときの記事。ガーディアン以外の英メディア。

本題に入る前に、地名がいろいろ出てくるので地図:
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Gaza_Strip_map2.svg
これは非常にわかりやすい地図です。

【BBC】
※BBCは、「パレスチナ側の被害」を仔細に描写した記事が流れ去るのが早い。こういう記事は、「特集:ガザ紛争 Gaza Conflict」のトップページでいつでも見られる記事という扱いもしていません。(ハテムさんの支援活動日記も、実は「ガザ紛争」のトップページからはたどれません。)そういう事情なので、見落としている記事があるかもしれないです。

■BBC中東特派員のクリスチャン・フレイザーが、16日にラファに入った。英国のジャーナリストが軍エンベッドでない形でガザ地区に入ったのは彼が初めてとのこと。

Eyewitness: BBC reporter in Rafah
Page last updated at 23:40 GMT, Friday, 16 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7834419.stm
2:16の映像あり。これは必見。ラファの国境を超えるバスの車内から、国境沿いの街(まるで大震災のような……人為的に破壊したとは思えない)、そしてPRESSのジャケットを着た記者が実際に攻撃された街角に立って状況を説明。どこにミリタントがいてイスラエルがどこを狙い、どこが「巻き添え」を食ったか。そしてミリタントが立っていた場所から60度くらいカメラが回ると……学校。学校は避難所になっていて、教室にマットレスを敷いてみんなで雑魚寝し、部屋の一角にコンロを置いておかあちゃんがキャベツを茹でている、という状況。トンネルからの食料品などの物資の流入が止まって物価が急騰している状況。電気などもちろんないので夜はろうそくでという状況。そして取材している間にも上がる黒煙。

記事は映像レポートにあることを文字にしている部分も多いけれども、映像にはないことも書かれています。例えば:
"I tell the children stories at night," he says. "I pull them all close to me, try to calm them. I tell them they are not going to die. That the bombing is all over."
(子供を瓦礫の中から救出したある父親の話)「子供たちには夜はお話をきかせてやってます。ぎゅっと近くに引き寄せて、落ち着かせようと。死にはしないからと言ってきかせています。爆弾はもうなくなったよ、と」

There are fathers all over Gaza working similar distractions.
ガザ全域に、同じように子供たちの気を紛らわそうとしているお父さんたちがいる。

Our host, Ahmed Adwan, told me that every time a bomb falls near his house, he dances for his three-year-old daughter. She now thinks it is a game.
私たちを迎えてくれたアハメド・アドワンさんは、家の近くに爆弾が落ちるたびに、3歳の娘のために踊ってやっていると言う。娘さんはゲームだと思うようになっている。


同じく、クリスチャン・フレイザーの17日の記事:
Survivors count losses in Rafah
By Christian Fraser
BBC News, Rafah
Page last updated at 21:43 GMT, Saturday, 17 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7835804.stm

トンネルの真上にある家の住民、Bakearさんは絶対に避難しようとしない。金属片が降ってきても絶対に自宅を離れない。彼は「ほかにどこにも行くところなどないんですよ。だいたいなんで自分の家を離れなければならないんでしょうか。イスラエルは私たちを立ち退かせるために何でもしてきました。でもパレスチナ人の意思は動かせません」と述べています。「家を離れる」こと、「家を明け渡す」ことのこの人にとっての「意味」がどのようなものであるか。で、Bakearさんは結局攻撃開始から攻撃停止まで、自宅を離れなかったそうです。

記事のこのあとは、イスラエルによる攻撃停止の後、ラファの街の犠牲が明らかになっていくこの日の様子が、淡々と、具体的に綴られています。筆致が淡々としているがゆえに、そこに描写されている感情が生々しく突き刺さってくるようです。

商店主のアブ・ムスタファさんは、ファタハとハマスとの対立がこれまでにないほど深いものになっていると述べ、ガザに政治空白が生じる可能性がある、それは危険なシナリオだと言っています。そしてイスラエルについては――イスラエルは武器に対しては封鎖するが、生活に必要な物資は通すと約束ているけれども、「そういう約束は前にもしていた」ということで信用できない、と。記事は、攻撃が停止されたことはちょっと一息にしかならず、長期的なことはまるでわからない、と結んでいます。

■中東特派員のポール・ウッドが、ガザ地区北部エレズ検問所から、地上戦も空爆も激しかったベイトラヒヤなど北部に入っています。

Broken town shows Gaza destruction
Page last updated at 18:20 GMT, Sunday, 18 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7836541.stm

戦車や無人偵察機の音を聞きながらガザ地区に入ったウッド記者は、イスラエル側から野良犬と飼い主がいなくなったロバ以外はほとんど誰もいない通りを経由して、ハマスの(ガザ地区の)税関を通るも、そこはもちろんイスラエルの武力で破壊されているという状態。しかしベイトラヒヤに入ると破壊はすさまじく、重い装甲車両で道路は荒れ、車はひっくり返され、路面には汚水が流れ、モスクは破壊され、通りの向こうの学校からはまだ煙が上がっている(また学校を攻撃していたのか)。記事に埋め込まれている映像にはそういった破壊が明らかです。

映像では破壊されたモスクにはまだ人(ご遺体)が埋まっていると人々は説明していると記者は述べ、最終的な死者数が判明するまでにはまだ何日もかかり、いくつもの葬式を見なければならない、と語ります。記事にも書かれていますが、ほとんど視力のない男性は13歳の息子を戦車からの砲撃で失い(息子さんはベッドで寝ていた)、別の男性(50代かそれ以上)は逃げようとしたところを狙撃されたと語ります。街にはハマスの人がいて、遺体の回収作業が行われているからと一部撮影を止めたそうです。それを説明しながら記者は、「この死は誰の責任なのかについて、イスラエルとハマスの間で激しい論争になっています」といったことを述べます。

この破壊の中に身を置き、そのにおいを感じながらそれを言えるというのは、職業的訓練の賜物だろうと思います。(皮肉)

【デイリー・テレグラフ】
■中東特派員のティム・ブッチャーが、ガザ市に入っています。

Gaza City: a scene of destruction as ceasefire signals end of Israeli offensive
By Tim Butcher in Gaza City
Last Updated: 10:49AM GMT 19 Jan 2009
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/israel/4285332/Gaza-City-a-scene-of-destruction-as-ceasefire-signals-end-of-Israeli-offensive.html

記事についている映像は、テレグラフはITNとの共同制作ですが、独自取材ではなさそう。

で、記事ですが……この人の文章には、何かもう気管支をつままれるような感じで(書かれている内容はほかでも読んでいるようなことなのですが)、読めません。理由はわからないけれど、単に私が疲れているのかもしれません。高台にある家はイスラエル軍に拠点として利用され(家の中には彼らが残していった食料品があり、壁には非常口として穴が開けられていたとか)、住める状態ではないという話が出ているのはわかりました。あとガザ市では国会の建物がトランプを立てて作る家のようになっているとか、外務省が跡形もないとか……ちょっと落ち着いたら読み直します。

【タイムズ】
私が把握している「ガザ地区に入った西洋メディアの人のレポート」はこれが今のところラスト。まだあるかもしれないのですが。

■イニーゴ・ギルモア(ガーディアンでも書いているフリーランス・ジャーナリスト)がハンユニスに入っています。ラファ(ガーディアン記事)に行く前にハンユニスに行ったみたい。

From The Sunday Times
January 18, 2009
Palestinians fear 'crazy' parting raids
Inigo Gilmore in Khan Yunis, Gaza
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/middle_east/article5537219.ece

彼がハンユニスに入った時はまだ攻撃が行なわれていて、車の頭上すれすれをかすめるようにF-16が飛んでいき、すぐ先の地点を爆撃、被弾したエリアからは女性や子供や高齢者が次々と逃げ出してきて、ある高齢の女性はギルモアに向かって「私たちが何をしたというの、イスラエル人は子供や年寄りを殺し、私たちの頭上を通って行っては家を破壊している。あの人たちは何が望みなの」と叫ぶ。

ギルモアは17日にハンユニスに入ったそうです。米国のノースカロライナに16年間暮らしていたMaher Esleemというエンジニアの招きで。彼の家で、夜明けごろに子供たちが起き出してきて(といっても眠れていないが)、12歳の娘は「飛行機が怖い、ミサイルを落とすのではないかと思うと怖くてならない。前にテレビで、爆撃で頭を吹き飛ばされた女の子を見て、それ以来怖い夢を見る」と言い、父親は「イスラエルが去ってくれる前にこの子たちの神経が参ってしまう」と言う。そして攻撃できるだけ攻撃するだろうということを述べる、ということが淡々と書かれています。

実際に、「停戦宣言」の前日にはBBCなどで「これまでにない激しい攻撃」が伝えられていました。学校の校庭を白燐弾と思われるものの「火の雨」が襲った写真も出ていました。

ギルモアらはこのあと病院に行き、死傷者が運び込まれているのを目撃、その後向かった先で、13歳の息子が殺された女性が「これは戦争ではありません、ジェノサイドです」と言うのを聞き、ハンユニス全域で子供たちが死傷している話がされ、無差別爆撃の犠牲になったと人々が言っているのを聞き、そして、エジプトからボランティアでやってきたカリム・ホスニ医師の話を聞いている。エジプトでは考えられないような怪我なのでしょう、ホスニ医師は「このようなものには慣れていないのです」と言って、ビルが爆破されれば一度に30人も40人も搬送されてくるのがショックだ、と語っています。

そしてタイムズのこの記事は(この記事も)、コメント欄は別な戦場になりそうになっている、という……。2件しかついていないから、おそらくタイムズの運営サイドで締め切っているんじゃないかと思いますが。



私はこのあとは、ガーディアンのローリー・マッカーシー(とガーディアン全体の報道。論説・分析は今は二の次で)と、BBCのクリスチャン・フレイザー、テレグラフのティム・ブッチャーは、記事があったら読むようにしようと思っています。読んだものをアウトプットできるかどうかはわかりませんが。

※この記事は

2009年01月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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