kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月12日

【ガザ攻撃】パレスチナ人と教育について、2006年にハテムさんがBBCで説明していた

ガザ市で人道支援団体職員として支援物資を必要な人たちに届ける活動をしているハテム・シュラブさんの日記、ここ数日更新がない。ガザ市にイスラエル軍が迫ってパレスチナのミリタントとの交戦も激しくなっているという状況で、支援先の子供たちやご家族のことをするのに大変な状況で、日記どころではないのだろう。更新の確認は下記で(ほかにも何箇所かでハテムさんの日記は読めますが、BBCが一番早いようです)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7802295.stm

ひょっとしてBBCのページがいっぱいになってしまって(現時点で13日分ある)別のURLに移動したのかなと思ってinurl:bbcで検索してみたら、2006年8月に「一般市民」としてBBCの取材に応じているハテムさんの記事が見つかった。先刻投稿した「教育」の破壊についてのエントリとぜひ並べておきたい内容だ。時期的には、ちょうど、レバノンに対するイスラエルの攻撃があったときのもの。この年の1月に行なわれた総選挙で、得票数でファタハをしのいで第一党となったのがハマスだった。

Hatem Shurrab
Last Updated: Thursday, 3 August 2006, 15:28 GMT 16:28 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/talking_point/5240050.stm
2006年のこのとき、ハテムさん21歳。ガザ市で大学を卒業して求職活動中だ。記事はBBC Newsの「一般の人たちの声」のシリーズのひとつで、被取材者の談話の形式で文章がまとめられている。

今もまだ、イスラエル軍は毎日ここガザで私たちを殺しています。

レバノンが始まる前はメディアの注目は私たちに集まっていましたが、レバノンが始まったら私たちは忘れられてしまいました。

もちろん、あちらで起きていることは本当に痛ましいことです。私たちはひとつの民 (people) だと思っています。

私たちは押さえつけられていて、アラブ世界は私たちが死ぬのを放置しています。

最近は非常に厳しい状況です。国境が閉鎖されているので、移動もできません。

先週(大学を)卒業したのですが、今は仕事を探しています。

1ヶ月間、コースに通うためにスイスに行くことになっていたのですが、行けなくなってしまいました。ガザからは誰も出ることができません。

がっかりです。でも気持ちを切り替えてここで何かを見つけようとがんばっています。ただ、何か見つけられたとしても、無給だろうなあと思います。

NGOはまだここにいますが、求人広告は出さなくなりました。

昨日、そのことで凄く心配になったので、父にアドバイスを求めたところ、父は仕事が見つからなければ奨学金を探して、修士課程に進むべきだと言いました。

パレスチナ人は平均して非常に教育レベルが高いです。占領というプレッシャーを逃れるために勉強するからです。

1日に電気が来るのはだいたい8時間です。先週は定時に来ていたのですが、今週は安定しません。困ったものです。

そういうわけで、テレビを見る代わりに会話することが多くなります。家族やご近所が集まって、庭で月明かりの下、話を始めるのです。

私たちにはお金がないのが残念です。


あとなんか、こんなのも出てきた。
Palestinians Sing Against The Siege On Gaza(Hatem Shurrab)
Palestinians Hatem Shurrab, 23, (R) and Naseem Skeik, 25, sing their new English-Arabic song 'Take The Siege Away, February 24, 2008, in Gaza City, Gaza Strip. Nassem and Shurrab wrote and melodized the mixed English-Arabic song "Take The Siege Away" which talks about the suffering of Gaza's people as a part of their activity against the siege and Israeli mass sanction on Gaza.

パレスチナ人のハテム・シュラブさん(23歳、写真右)とナシーム・スケイクさん(25歳)が、英語とアラビア語で書かれた新曲『占領をぶっとばせ』を歌った。2008年2月24日、ガザ地区、ガザ市。楽曲はふたりで作詞作曲したもので、ガザ地区に対する包囲とイスラエルによる経済封鎖に反対する活動の一環として、ガザの人々の苦難を歌ったもの。


1月3日のCNNの電話インタビューも。
http://edition.cnn.com/video/#/video/world/2009/01/03/bpr.gaza.shurrab.witness.cnn


※この記事は

2009年01月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼