kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月05日

【ガザ攻撃】Rafahkid blog日本語化、1月1日分

Twitterで連絡を取ったRafahkidさんのブログ、http://www.rafahkid.net/ の日本語化です。彼は長くブログを書いていますが、とりあえず、2009年に入ってからのものを。まずは1月1日のエントリです。

Thursday, January 1, 2009
2009年1月1日、木曜日

not a terrorists house part 1
テロリストの家ではない(その1)


Photos showing aftermath of bombing in Rafah early on Tues 30th Dec, originally uploaded by rafahkid.
写真は、12月30日早朝のラファの爆撃の後の様子。投稿者はrafahkid

これらの写真は、12月30日、Hi Alijninaというラファの住宅街で撮影されたものです。この日の朝5時ごろ(現地時間)に、イスラエルの空爆がありました。民家1軒が完全に破壊され、隣家も半壊状態です。就寝中に寝室の壁が崩れてきて怪我をしたティーンエイジャーがひとりいます。ほかにも何人か一般市民が負傷しています。

Posted by RafahKid at 9:19 AM




not a terrororists house part 2
テロリストの家ではない(その2)



Photos showing aftermath of bombing in Rafah early on Tues 30th Dec, originally uploaded by rafahkid.

※本文は上の投稿@9:19 AMと同じ。

Posted by RafahKid at 9:20 AM




photos from Shifa ICU Rafah
ラファ、シーファ病院の集中治療室の写真



photos from Shifa ICU Rafah, originally uploaded by rafahkid.

シーファ病院ICUのハレド医師は、ICUに収容されている患者の大半が危険な状態で、およそ8割は助からないだろうと語っています。その時点で、ICUの24のベッド(通常の2倍のベッド数です。普段はICUではない部屋でベッドを増やして対応しています)では、重態の負傷者の受け入れが4度目になっていました。その前、3度受け入れた方々は、負傷が原因で亡くなりました。

Posted by RafahKid at 9:30 AM




3am
午前3時

午前3時です。ついさっき、アパッチ・ヘリの攻撃を見ました。F-16戦闘機からアパッチに変更されてます。ちょっと寝ます……できれば。

Posted by RafahKid at 1:40 PM




they even kill the chickens
鶏までも殺す


10人の子供がいるAkram Al Kanwaの家で、7人が負傷、2人は入院したままです。消火するのに13時間かかった化学薬品(の倉庫か何か)の火災のせいで、空気は刺激臭がします。

それから、養鶏場に案内されました。養鶏場といっても、側にビルがそびえている地面に過ぎません。外との仕切りもなく、おがくずが敷かれていて、通常の状態なら鶏にとってはかなりいい場所ですが、もうそんな状態ではなくなってしまっていました。

3日前に近くで起きた爆発のショックか、あるいは物理的に爆発の影響を受けたかして、11,000羽の鶏が死んでしまいました。残る1,000羽の鶏は死体の間をうろうろし、養鶏場の人が死んだ鶏を拾い上げて袋に入れてどかしています。ヴィーガンには耐えられない光景ですが、水増しなしで、ガザ地区の11,000家族のささやかな夕食になります。

Posted by RafahKid at 1:40 PM


下に続きます……。

Email
Eメール


昨晩、日が落ちてすぐにジャバリアの家に戻るのはものすごい大急ぎのスクランブル状態でした。夜が深まれば深まるほど危険が増すので。日曜の夜には別の用事があって行動が送れ、それから電話越しに家族が、夜遅くなって道路を運転していると絶対に攻撃されるから、もうこれ以上誰かが死んでしまうのはいやだから、と言うのです。僕たちのような新しい友人であっても。

というわけで、昨晩は6時ごろに戻りました。Fが、今日は朝の5時に爆撃が始まってからほとんどずっと地下室にいて、ほんのちょっとしか上に上がってないと言いました。

夜は何とかなりました。アパッチ・ヘリが1機、家の上空にずっといたようですが、ということはそのヘリがロケット弾を撃ちこんでいるのはここから離れたところだということになります。朝が近づいた数時間、状況は逆になり、かなり大きな爆発音がしていました。夜の間、イスラミック大学(イスラム大学)に2度目の爆撃があり、港は相変わらず攻撃を受け続けていましたが、ガザ全域がそんな感じなので。

Posted by RafahKid at 1:45 PM




Video from Rafah border following Israeli air-strikes
イスラエルの空爆後のラファ国境の様子(ビデオ)


http://www.youtube.com/watch?v=FtCQVb1GCJs

※Rafahkidさんのところではエンベッド・プレイヤーが利用されていますが、ここでは引用符内ではエンベッドできないのでリンクで。ビデオはアラビア語のみ(英語字幕なし)です。8分くらい。12月30日の爆撃後のものです。最初は瓦礫の山と崩壊したビルと、子供たち(アラビア語がわからないので男の子が説明してくれているのも理解できない、悔しい)。続いて崩壊した建物内の男性たち(粉砕されたコンクリート片の中に、マットレスかソファのようなものが転がっています)。続いてRafahkidさんの写真のあるピンクのセーターの女の子と、滅茶苦茶になった彼女の家の台所(鍋とかがある)。その次が破壊された寝室と中年の女性。その後いったん外の映像になり、次は別の中年女性。背後の洗濯物が刺さるような「日常」感。続いて子供部屋でしょうか、寝室。それから洗面所・トイレ。コケコッコーの声がして外の様子。大きな椰子の木が倒されています。

Posted by RafahKid at 1:50 PM

1月1日付けの投稿はここまで。

なお、彼の投稿のタイムスタンプにある時刻はbloggerデフォルトで米国時間のような気がします。

※この記事は

2009年01月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼