kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月05日

【ガザ攻撃】最新情報

BBC記事についている地図によると:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7810270.stm
ガザ地区北部からイスラエル軍地上部隊が侵攻、ベイトハヌーン、ベイトラヒーヤあたりからガザ市、その少し南のZeitounのあたりまで「イスラエル軍」の印がついている。

rafahkidさんの無事は確認できている。
http://twitter.com/rafahkid
私が確認した時点で7分前(日本時間で5日午前0:50ごろ)にTwitterに投稿がある。

rafahkidさんのflickr@1月2日投稿分:
http://flickr.com/photos/rafahkid/archives/date-posted/2009/01/02/
1月1日のShabora難民キャンプに対する爆撃の直後の様子。ラファでも最も人口が集中している地域にイスラエルの空爆があり、標的は広場(公園)だったようだが、周囲の一般家屋や商店がめちゃくちゃになっている。この攻撃で33歳の女性と22歳の男性が死亡、60人近くが負傷し、そのうち18人が女性、16人が子供、高齢者の負傷者も何人かいて、うち2人は重傷。



* Photos by rafahkid on flickr. All rights reserved.

ガーディアンが最新情報を下記で逐次アップデートしている。
http://www.guardian.co.uk/news/blog/2009/jan/04/gaza-invasion-israel

P-navi infoさんの最新記事にトラックバック送信。
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200901040648.htm

毎日新聞@1月4日20時36分配信:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090104-00000045-mai-int
 地上侵攻は05年9月にガザからイスラエル軍が撤退して以来、最大規模。イスラエル軍報道官は同国へのロケット弾攻撃を封じ込めるためハマス軍事部門を解体することが目的と説明している。

 イスラエル放送などによると、ガザ地区との境界に集結していた戦車・歩兵・砲兵部隊など数千人が北部、東部、南部の3方面から侵攻して地区を分断。ロケット弾発射拠点や幹線道路を制圧して主要都市ガザ市を包囲した。同市近郊で激しい戦闘が展開された。

 AFP通信によると、地上侵攻開始から市民22人を含むパレスチナ人40人が死亡。イスラエル軍は同軍兵士1人が死亡、三十数人が負傷したと発表した。

 地上侵攻に先立ちイスラエル軍は境界からガザに砲撃を加え、イスラエル民間テレビ・チャンネル10は不発弾による市民被害の深刻なクラスター爆弾が使用されたと伝えた。ガザへの空爆、海上からの砲撃も続いた。

 オルメルト・イスラエル首相の報道官は「ガザを再占領するつもりはない」と強調した。だが、軍は招集予備役の増強に着手しており、バラク国防相は「必要なだけ軍事行動を拡大、強化する。作戦は短期でも、たやすくもない」と長期戦の可能性も示唆した。

 これに対し、ハマス報道官は「ガザはイスラエル兵の墓場になる」と徹底抗戦の構えを強調。ガザからイスラエル領には4日、少なくとも32発のロケット弾が撃ち込まれた。

※引用文中強調は引用者による。

ほか、何か新しい記事があれば、コメント欄にご投稿ください。このあとしばらく翻訳作業に入りますので。

とりあえずヘッドフォンで爆音でこれを聞きながら。
http://www.last.fm/music/Muslimgauze/_/Hebron+Massacre

※この記事は

2009年01月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:12 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼