kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月31日

【ガザ空爆】タリク・アリ、「ガザの灰から」(翻訳紹介)

この件についてのエントリは
「2008年12月ガザ攻撃」のタグ
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今の一曲:
http://www.last.fm/music/Nine+Inch+Nails/_/24+Ghosts+III
Get the door, get the door


今の一枚:
Hear Nothing, See Nothing, Say NothingA glaring light an unnatural tremor
Suffocating heat, suffocating heat
A hell on earth, hell on earth ...

Can you hear the sound of an enormous door
slamming in the depths of hell
The possibility of life's destruction ...

In agony they cry and scream
And children and children
And children and children
Skin peeled hanging in strips
And children and children
And children and children

Discharge, "Hear Nothing, See Nothing, Say Nothing", 1982
http://uk.youtube.com/watch?v=DEJPWAwU44Q


アフリカ中部でも大変なことになっていると伝えられていますが、29日に翻訳紹介したSara Royの記事に言及しているタリク・アリの記事を。

From the ashes of Gaza
ガザの灰から
Tariq Ali
guardian.co.uk, Tuesday 30 December 2008 08.00 GMT
原文:
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/dec/30/gaza-hamas-palestinians-israel1

6ヶ月間にわたって計画され、完璧なタイミングで実行されたガザ攻撃は、大筋のところ、ニーヴ・ゴードンが的確にとらえている通り、(2月に)迫ったイスラエルの選挙で現在政権にある政党が勝利するのを助けるために計画されたものだ。イスラエルの右翼と極右との間のシニカルな競争において、死んだパレスチナ人たちは、選挙のための材料 (election fodder) と大差のない存在である。ワシントン(米国政府)とそのEUの同盟国は、2006年のレバノンの事例と同様に、ガザがすぐにも攻撃されるということに完全に気付いていながら、ただそれを座視していた。

オバマもブッシュも同じAIPAC【→参照】の賛美歌を歌いながら、ワシントンは常のごとく、ハマス支持のパレスチナ人を責める。EUの政治家たちは、圧力の増加も包囲もガザに対する集団懲罰も、一般市民が標的となっていることも見ていながら(そのむごい詳細については、ロンドン・レビュー・オブ・ブックスに掲載されたハーヴァード大の学者、サラ・ロイの背筋の凍るような小論を参照されたい【→日本語化】)、ロケット砲撃がイスラエルを「挑発した」のだということで納得し、双方に暴力の停止を呼びかけたが、まったく影響を及ぼさない。虫に食われてボロボロになっているエジプトのムバラク独裁政権と、NATOお気に入りのアンカラのイスラミストたち【注:トルコのこと】は、駐イスラエル大使を呼び戻して抗議のポーズをとることすらしていない。中国とロシアはこの危機を話し合うために国連安保理を招集しなかった。

公式筋の無関心の結果、今回の攻撃の結果のひとつは、世界中のムスリムのコミュニティを激昂させ、西洋が「テロに対する戦争」で相手として戦っているのだと主張している組織の人員を一気に増大させるだろう。

ガザでの流血は、双方の戦略上のより幅広い問題を提起する。これは最近どんなことがあったかに関連することだ。認識されねばならないひとつの事実として、「パレスチナ自治政府 Palestinian Authority」なるものはないのだ、ということがある。これまでそのようなものがあったためしはない。残忍な執行者の永遠の監視の下で、相互につながりを絶たれ小さな面積に分けられたパレスチナ人のゲットーを一揃い作るというオスロ合意は、パレスチナ人にとって紛れもない大失敗だった。PLOは、かつてはパレスチナ人の希望を背負っていたのだが、EUのカネを無心する集団というに毛が生えた程度の存在に成り下がってしまった。

西洋の民主主義への熱意は、その政策に反対する者たちが選挙で選ばれたときに消えてしまう。西洋とイスラエルはファタハの勝利を確実にしようとあらゆる手を尽くした。パレスチナの有権者たちは、「国際社会」からの脅迫や賄賂をはねのけた。選挙戦では、ハマスのメンバーや(ファタハに対する)反対派はイスラエル軍によって常態的に拘束されたり襲撃されたりし、ポスターは没収されたり破られたりした。米国とEUの基金がファタハの選挙戦に注がれ、米国の国会議員がハマスの立候補は許可されるべきではないと宣言した。

選挙のタイミングでさえも、特定の結果を導こうという決意によって決められていた。2005年の夏の予定だったのが2006年1月に延期されたが、これはアッバスにガザに資産を投下する時間を与えるためだった――あるエジプトの情報当局者の言葉を借りれば、「そうすれば民衆はハマスではなくオーソリティ【注:Authority。当時の「パレスチナ自治政府」、つまりファタハのこと】を支持するだろう」ということだ。

ファタハの下での汚職といじめと大言壮語の10年間のあと、民衆はすべてきれいに掃除したいと願っていた。上述したものすべてよりも、これが強かった。大西洋世界の至る所で、統治者もジャーナリストも、選挙でのハマスの勝利は、原理主義の勃興を示す不吉な兆しだ、イスラエルとの和平の見込みにとってひどい打撃だと扱った。すぐに金融面、外交面で圧力がかけられ、ハマスに対し、ハマスが選挙で負かした党と同じ政策をとらせようとした。パレスチナ自治政府の貪欲と依存、その下にある卑屈なスポークスマンや警察官の私腹肥やし、彼らの指導下にあった人々に対し、さらなる土地の収用と窮乏を課しただけの彼らの「和平プロセス」での妥協といったものを飲まなかったハマスは、単純な例というもうひとつの選択肢を示した。そのライバルの資金に一切頼ることなく、ハマスは貧しい人々のための診療所や学校、病院、職業訓練学校や福祉計画を開設した。ハマスの指導者や幹部らは、一般の人々の手の届くところでつつましい生活を送っていた。

ハマスが広く支持を集められたのは、こういった日常の必要に対する反応によってである。毎日クルアーンの章句を暗誦することによってではない。第二次インティファーダでのその行動によって増した信用がどの程度のものかは、それほど明白ではない。イスラエルに対するハマスの武装攻撃は、ファタハの「アルアクサ殉教者旅団」や「イスラム聖戦」の武装攻撃と同様、占領に対する報復であった。そしてその占領は、その組織がとってきた行動のどれよりもはるかに破壊的なものだった。イスラエル軍による殺害を基準に見れば、パレスチナからの攻撃は数的にずっと少なく、期間も空いている。この非対称は、2003年6月に始まったハマスからの一方的休戦の期間中にはっきりと示された。休戦の後、イスラエルによる襲撃と大量逮捕が行なわれ、ヨルダン川西岸地区で約300人のハマス幹部が身柄を拘束されたが、ハマスの休戦はその夏の間中維持された。

2003年8月19日、ヘブロンから来た「ハマス」のセルと自称する集団が――ハマス本体の指導部からは組織を追放され、糾弾されていたのだが――、西エルサレムでバスを爆破した。イスラエルは即座にハマスの休戦の交渉役、イスマイル・アブ・シャナブを暗殺した。ハマスも反応した。その報復として、パレスチナ自治政府とアラブ諸国はハマスの慈善団体に対する資金をカットし、2003年9月にはEUがハマス運動全体を「テロ組織」であると断定した。テルアヴィヴが長く要求してきたように。

どうしようもないほど釣り合いのとれていない戦闘においてハマスがほかと違っているのは、自爆攻撃者を送り込むことではなく、その規律である。自爆ならハマスと競合する集団も行なっている。ハマスの規律は、この1年、イスラエルに対し自ら宣言した休戦を実効力のあるものにした能力によって示されている。一般市民の死はすべて非難されねばならないが、主にそれをしているのはイスラエルであり、欧州・米国のうわべだけの言葉は、それを口にする者を白日の下にさらすだけでしかない。圧倒的に多くの場合、殺しの靴を履いているのはもう一つの足だ。その足は、現代の歴史では最も長期にわたる武装弾圧において、ジェット機や戦車、ミサイルを装備した近代的な軍隊によって、パレスチナを無慈悲に踏みつけにする。

「45年にわたって軍事占領下に置かれ苦難を味わってきた人々の、占領軍に対する反乱を認めないことも、非難することも、誰にもできない」と、1993年に、イスラエル軍情報部トップであったことのあるシュロモ・ガジット将軍は述べた。EUと米国がハマスに対してよい思いを抱いていないのは、ハマスがオスロ合意という降伏文書を受け入れることを拒んだからであり、その後タバからジュネーヴに至るまで、その惨禍をパレスチナ人に押し付けようとした尽力をすべてはねつけたからである。それ以降の西洋の優先事項は、この抵抗を打ち砕くことだった。パレスチナ自治政府への資金を断ったのは、ハマスを叩きに叩いて降服させようとする武器だった。もうひとつ、立法府を犠牲にしてアッバスの大統領としての権限を拡大したこともそうだ――アッバスは、カブールのカルザイのように、ワシントンによってその地位のために公然と選ばれたのだが。

選挙で選ばれたパレスチナの指導部と交渉しようという本気での取り組みは一切為されていなかった。ハマスがすぐに買収されて西洋とイスラエルの利害に組するということがありえたとは私は思わないが、そうであったとして前例のないことではなかっただろう。ハマスが一貫して掲げている立場は、今でも、パレスチナのナショナリズムの最も致命的な弱点にひっかかっている。つまり、それがとりうる政治的選択肢としては、イスラエルの存在を完全に否定するか、さもなければ(本来の)国の5分の1の面積の分断された残り物を受け入れるかのどちらかだ、という思い込みだ。前者の空想じみた最大限綱領主義 (maximalism) から、後者の情けない最小限主義 (minimalism) まで、ファタハの歴史が示しているように、その道はあまりに短い。

ハマスにとっての試金石は、西洋の意見を満足させられるまで飼いならされうるかどうかではなく、この身動きの取れないような伝統から離れられるかどうかである。ガザでハマスが選挙で勝ってからすぐに、私は公衆の面前であるパレスチナ人から、あなたがその立場ならどうしますかと訊かれた。「パレスチナ自治政府の解体」が私の答えだった。それが形式だけの状態を終わらせる。そうすることが、パレスチナというネイションの大義をちゃんとした基礎の上に位置付ける。国とその資源を公平に、(パレスチナとイスラエルの)2つの人口に平等になるよう、つまり一方に80パーセント、他方に20パーセントなどというようにではないふうに分配すべしという要求つきで、自尊心のある人間なら決して屈することはないというほどの不正義を明け渡す。受け入れることのできる唯一の選択肢は、シオニズムの厳しい取立てが補償されるような、ユダヤ人もパレスチナ人も同等の単一国家である。ほかに道はない。

そしてイスラエル国民は次に引くシェイクスピアの言葉について、じっくりと思いをめぐらすかもしれない。『ヴェニスの商人』から取ったが、私が少しだけ改変してある。
「わたしはパレスチナ人である。パレスチナ人の目を持ってはいないか? パレスチナ人の手を、臓器を、容貌を、感覚を、愛情を、情熱を、持ってはいないか? ユダヤ人と、同じ食べ物を食べ、同じ武器で傷つき、同じ病に罹り、同じ方法で癒され、同じ冬と夏に暖をとり涼をとり、しているのではないか? あなたがたがわたしたちを刃物で刺したとき、わたしたちは血を流さないのか? あなたがたがわたしたちをくすぐったとき、わたしたちは笑わないのか? あなたがたがわたしたちに毒を盛ったとき、わたしたちは死なないのか? そして、あなたがたがわたしたちをひどく扱ったとき、わたしたちは仕返しをしないのか? 他の点でわたしたちがあなたがたと同じようであるのなら、わたしたちはその点であなたがたと似ている。……あなたがたが教えてくれた悪事を、わたしは実行します。それも徹底的に。教えられた以上にうまく。


……最後のほう、力尽きました。文構造が取れていないかもしれないし、原文の「土地の没収」を想起させる単語がうまく日本語になりませんでした。

『ヴェニスの商人』のところは、第三幕第一場が元です。オリジナルはウィキペディアで確認できます。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Merchant_of_Venice
#The_sympathetic_reading


ガーディアンのタリク・アリのページ:
http://www.guardian.co.uk/profile/tariqali

Znetのタリク・アリのページ:
http://www.zmag.org/zspace/tariqali



Two-state solutionが「失敗」した事例として、北アイルランドを思い浮かべつつ。

「バルフォア宣言」のアーサー・バルフォアは、19世紀末のアイルランドのユニオニズムにおいて、大きな役割を果たした保守党の政治家です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Arthur_Balfour

http://www.britannia.com/gov/primes/prime39.html
In 1887 he became secretary for Ireland. He took a firm stand in opposition to home rule for Ireland and earned the nickname "Bloody Balfour" among Irish nationalists.


http://britishhistory.suite101.com/article.cfm/arthur_james_balfour
Many will argue that as a member of the British 'ruling class' he failed to recognise the need of the Irish for self-determination. Although he earned the epithet "Bloody Balfour" his term in office was recognised by his Conservative colleagues as one of outstanding success.


19世紀末にHome Ruleでアイルランドが「自治」を与えられていれば、「独立戦争」はなかったかもしれないし、それ以前にエドワード・カーソンとかジェイムズ・クレイグのような「ユニオニスト過激派」のスペースがあったかどうか、などなどと考えると、歴史ってのはおもしろいですね。私の場合、研究者ではないのであくまでも「野次馬」的に、ですが。

しかし、タリク・アリのポストのコメント欄で「単一国家になったら政府は多数派から選ばれるわけで」云々と書いている人がいて、思わず、「そこで北アイルランド型パワー・シェアリングですよ」とか思ってる自分は、さすがに気持ち悪いです。大晦日に。(端的にいえば、「疲れた、頭がもう限界」ってことなんですけど。何と何が脈絡があってそうでないのかがわからない。)

※この記事は

2008年12月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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