kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年12月04日

北アイルランドのシンボリズムのお勉強の時間です (2)

第一回:
http://nofrills.seesaa.net/article/108830700.html

さて、第二回目の今日は、BBC NIのトップページからの出題です。



上記キャプチャ画面で最も大きな写真が、覆面+銃の人物の写真です。明らかに「武装組織」です。ではここで問題。これはロイヤリストでしょうか、リパブリカンでしょうか。

画像だけで簡単に判断することができます。銃とか迷彩とかを手がかりにする必要はありません。

答えはCMのあと!

1844880214The UDA
Henry McDonald
Penguin Ireland 2005-06-02

by G-Tools


1840187581The Billy Boy: The Life and Death of LVFLeader Billy Wright
Chris Anderson
Mainstream 2004-03

by G-Tools


B00000FAOWFour Days in July [VHS] [Import]
Brid Brennan, Des McAleer, Paula Hamilton, Charles Lawson, Mike Leigh
Water Bearer Films 1998-11-11

by G-Tools


はい、答えは「ロイヤリスト」です。手がかりは男の背後にちらっと見えているユニオン・フラッグ(ユニオン・ジャック)です。

この写真は、ロイヤリスト武装組織UDAについてのBBC記事で頻繁に用いられる資料写真です。記事に飛んで、この画像のプロパティを表示させると、"UDA gunman" とあるのが確認できると思います。

「CM」で貼り付けたヘンリー・マクドナルドの本の表紙で使われている「UDAのシンボルマーク」には、セント・ジョージ・クロス(イングランド)とセント・アンドリューズ・クロス(スコットランド)が確認できると思いますが、この2つの旗が合わさったものがユニオン・フラッグのベースです。(なお、UDAのこのシンボルでは中央の「赤い手」がUlsterを意味するので、白地にナナメの赤い十字(アイルランド)がないのは不自然ではありません。)

ユニオン・フラッグの成り立ちについては:
http://nofrills.seesaa.net/article/70072729.html

……以上、メモ。後日加筆してni-faqのほうに上げる予定です。

※この記事は

2008年12月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | northern ireland/basic | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼