kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年09月11日

【特集:航空機爆破計画裁判結果 4】事件発覚当時を振り返りつつ

ここで「大西洋横断定期旅客機爆破テロ計画」の発覚当時、2006年8月のこのブログのエントリを振り返っておこう。

■第一報:
2006年08月10日 'Aircraft terror plot' uncovered
http://nofrills.seesaa.net/article/22197222.html


この時点では日本の新聞は「航空機を使った手口から国際テロ組織アルカイダの関与が疑われている」と報じていたが、英国のメディアは、「米国がアルカイダが関与しているのではないかと示唆している」といった感じで報じていた――例えば、The US attorney general, Alberto Gonzalez, said it was "suggestive of al-Qaida tactics" (米国のゴンザレス司法長官は、「アルカイダのやり口を思わせるものがある」と述べた)。当局が「アルカイダ」に言及する以上は何らかの裏づけがあったにせよ、この時点では背景はほとんど何も明らかにされていなかったか、されていても報道がごくごく小さくて、「ウォルサムストウの爆弾ファクトリー」についてのディテールの中に埋もれてしまっていた。

実際には、彼らの逮捕の直前に、パキスタンで「計画の首謀者」が逮捕されていた。これは米国が主導権を握った上での出来事のようで、英国の当局の計画とは違っていたらしいが(英国のポリティカル・サスペンスの作家が書く小説にありがちなパターンかも)、いずれにせよ、そのために英当局も動かざるを得なくなった、そのために逮捕前に証拠を十分に固めることができなかったのだ、と評決が出たあとにテレグラフが書いている

そして彼らについては、いつの間にか、「アルカイダの」ではなく「アルカイダに触発された al Qaida-inspired」という表現が多く用いられるようになっていて、それはそれで深く調べてみれば興味深いのだろうが(アルカイダ自体が「“全容を把握”できるような組織」とは言いがたい)、それをする時間はないので、残念だが先へいく。

■補足的なエントリ:
2006年08月12日、「彼ら」が育った街、ウォルサムストウ
http://nofrills.seesaa.net/article/22263453.html
2006年08月12日、「彼ら」が育った街、ウォルサムストウ (2)
http://nofrills.seesaa.net/article/22269158.html
2006年08月18日、「裕福」? どこの何が?(ウォルサムストウ)
http://nofrills.seesaa.net/article/22491587.html
2006年08月23日、「彼ら」が育った街、ウォルサムストウ(3)
http://nofrills.seesaa.net/article/22696861.html
2006年08月23日、「彼ら」が育った街、ウォルサムストウ(4)――あそこはmiddle-classじゃない。
http://nofrills.seesaa.net/article/22699600.html


これらは、日本での報道が「貧しい移民がテロに走る」みたいな粗雑な話になっていたり(日本では「左寄り」に位置付けられている新聞まで、英国の保守党の一番右か、そのさらに右と同じような感覚で「移民」という語を使うのだなと呆れたり)、「移民は裕福でも差別されるので云々」みたいな粗雑な話になっていたりしたので書いたようなものだ。事件には直接関係はない。

■同時期に起きていた「テロ」についてのエントリ:
2006年08月13日、英国の、あまり報道されない「爆弾テロ」@実行済
http://nofrills.seesaa.net/article/22305272.html


これは、「粗雑な比較論」と受け取られることを覚悟して書いた。2006年8月にウォルサムストウの彼らが逮捕されたのとほぼ同時に、北アイルランドでは爆弾事件もしくは爆弾攻撃未遂事件が相次いでいた。

ウォルサムストウの液体爆弾が現実に可能なものなのかどうかもわからなかった一方で、北アイルランドの爆弾は「本物」だった。まあ、イングランドでどかんどかんやってたころの爆弾や、オマーやエニスキレンの破壊と殺戮をもたらした爆弾ほどではなかったのかもしれないが、郊外型の店舗をダメにするくらいの威力はあった。それでも、北アイルランドのほうはまるで報道されなかった。なぜならそれは、もちろん実行された場合の被害の規模という要素もあっただろうが、それ以前に、北アイルランドの爆弾は北アイルランドの問題、大きく見積もっても英国の国内問題であり、国際問題ではなく、もっと言えば、米国を標的としていなかったからだ。逆に言えば、「ウォルサムストウの液体爆弾」は、実行者は英国人であったが、米国を標的としていたからだ。

なお、今年になってようやく、MI5が北アイルランドの非主流派リパブリカンを極めて危険な存在だと見なしているということが英国のナショナル・メディアでも記事になったが、確かに彼らが勢いづいているのは昨年の11月ごろからであるにせよ、急にそうなったわけではない。2001年9月11日からぴったり7年、「テロといえばアルカイダ」みたいなムード(アルカイダのならうるさいほど報道されるし、そうでなければろくに報道されない)には、個人のレベルでイライラさせられっぱなしだ。(愚痴。)

ついでにいえば、極右が爆弾作りを試みていたとか、極右がお手軽な爆発物(ファイアボムなど)で襲撃をしたとかいったことは、英国ではこの7年間にたぶん何度か(何度も)発生していているのだけれども、そういうのは英国のナショナル・メディアではほとんど報道されない。地方紙では記事になっているかもしれないが。稀に「どこそこで逮捕された極右の爆弾容疑者が法廷でかくかくしかじかと述べた」という報道があり、「公判でかくかくしかじかの判決となった」という報道があるが、それらは大きな報道ではない。むしろ、「対テロ法(もしくはテロ法)で何人を逮捕」といった報道のほうが大きい。そこで逮捕された中で起訴されるのがごく一部であっても。

■「リシン」を思い出す:
2006年08月23日、2003年の「リシン」事件の過去記事
http://nofrills.seesaa.net/article/22706734.html


「リシン」事件……詳細は上記URLをクリック。これもガサ入れと逮捕は大きく報じられて、判決はほとんど報じられなかったのだが、「セル」とされた集団の「中心メンバー」とされた被告は、メインの容疑(リシンの製造)ではシロ、暴力系の容疑でクロ、ということになっている。

今回の「航空機爆破計画」では、20人以上が逮捕された中で起訴されたのが8人、うち1人は完全に無罪の評決で、残り7人が複数の容疑・起訴事実について有罪と無罪と評決なしが混在した結論になっている。冷静に見て、「リシン事件」よりはずっと「テロ」性が高い結論なのだけれども、「有罪」の部分も「テロリズムの行為(殺人)」ではなく「テロリズムの思想(情宣)」だ。今のところは。何とも微妙なところである。

なお、この「ウォルサムストウの液体爆弾」の件、年内にもretrialの手続に入る可能性が高い。無罪となった1人を除く7人がその対象となる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7608780.stm

被告らは、「英国の外交政策に抗議するため、政治的に注目を集めたかったので、偽の自爆犯行声明ビデオを作り、人を殺すことではなく社会をおどかすことを目的とした爆発物(なんちゃって爆弾)を作った」と主張している。

これは、2006年11月に北アイルランドの議事堂の外壁に「Sinn Fein/IRA」とスプレーで書いてから「なんちゃって爆弾」を背負って乱入したマイケル・ストーン(ロイヤリストのテロリストで殺人で有罪、服役していたが、和平合意で特赦され、画家に転進)が、「主義主張が曲げられて政治が進められていることへの抗議のために、アートとしてのパフォーマンスを行なったのだ」と法廷で主張しているのと少し似ているように私には感じられるが、もちろん、報道でしか知らない(それも報道のごく一部しか見ていない)ので、それが「正しい」のかどうかはわからない。

※この記事は

2008年09月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼