kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年09月06日

コロンビア旅行に持って行った「白い粉」が彼をいかなる目にあわせたか。

男の名はマイケル・ファブリカント。英国人。職業は下院議員(保守党)。彼は夏の休暇で、コロンビアにエコツアーに出かけた。(IRAのあれこれを知っていると「コロンビアにエコツアー」というだけでも笑えるようになるので困る。)

その日、彼はカリブ海沿岸の山で友人と一緒に山歩きを楽しんでいた。そのとき武装警備隊にとめられた。7人の兵士が彼の荷物をチェックし、白い粉の入った容器を取り出した。その容器には何のラベルも貼られていなかった。

マイケルはフランス語とドイツ語が達者だ。オランダ語とロシア語もある程度できる。何しろ英国のエリートだ。教養がありすぎる。教養がありすぎるのでスペイン語ができないのだ。デイヴィッド・ベッカムもたぶんそうだったのだ。(それは違う。)

実はその容器の中の「白い粉」は、ネスレ社の粉末ミルク(コーヒーメイト)だった。

「スペイン語は単語を2つ3つ知っているだけでしたから、説明をしても理解してもらえません。彼らは私に向かってずっと『コカイン!コカイン!コーヒー、ブラウン、コーヒー、ブラウン!』と叫び続けていました。」

……コーヒーふいた。

Coffee Break, a CC photo by a flickr user 'bitzcelt'気の毒に、英国の下院議員のマイケルさんはM16を突きつけられて、その「白い粉」がコカインではないことを身体で証明しなければならなかった……持っていたのを全部飲み込まされたのだ。

「自分でなめて確認すればいいじゃないかと言ったのですが、兵士たちはそれを拒否し、ライフルの銃座で『お前がやれ』と指示しました。なので何口分か口に入れたのですが、その間、兵士たちは私を、こいつ頭おかしいんじゃないのかというふうに見ていました。」

「私が昏倒したり錯乱したり、あるいは何か妙なことを口走ったり――そうですね、例えば『ゴードン・ブラウンは人柄がいいんですよ』とか――するのではないかと、数分様子を見ていました。でも私は全然変なことを言わないし、結局はあれはコカインではないという結論に達して、私は解放されました。」

「安堵することはしましたよ、もちろん。でもそのあと、気持ちが悪いことといったらもう。」

……さすがにこれは気の毒だ。

だが、単に休暇でトレッキングに出かけ、山で美味しいコーヒーを飲もうとクリーマーを持ち歩いていただけで、屈強な男たちに銃を突きつけられ脅されたこの経験は、議員であればこそ、「コロンビアは怖い」とか「次は白い粉を持って行かない」という個人レベルの話で終わらせるのではなく、アフガニスタンを歩いていただけで、報奨金目当ての連中によって「タリバンやアルカイダのメンバー」として米当局に身柄を渡されて、頭のてっぺんから爪先までがちがちに武装して、世界のどこででもアメリカ英語でがなりたてる屈強なアメリカの男たちに囲まれて「その時計はテロリストが使っている時計だから、お前もテロリストだろう」と脅される、とかいった経験と重ねて考えていただきたいと思う。

記事の最後のところで、「そんな危ないところに呑気に出かけるからだ、自己責任だ」という声が聞こえてこないでもないのか(念のために書き添えておくと、この一節は皮肉です)、議員は「コロンビアは誘拐や麻薬産業もあり、少々危険だということは認識していました。しかし私がいた沿岸部サンタマルタの北東の山は麻薬業者の支配下ではないと一般に考えられており、内陸部に比較して安全です」と述べている。

さらにオチとして、「私が原因で不必要な補選が必要になった、などということになるのは望んでいません。次回は容器にラベルを貼っておくことにします。」

もうひとつオチがあって、「コロンビアのコーヒーは実に大変ものすごくとても美味しいのですが、ミルクは安心できないので、粉末ミルクを持って行った次第です」と述べて、外交問題に発展するのを未然に防いだ、らしい。ガーディアンがそう書いてるからそうなんだろう。

ネタ元:
Coffee-mate lands MP in hot water with drug patrol
Helen Pidd
The Guardian, Saturday September 6 2008
http://www.guardian.co.uk/politics/2008/sep/06/conservatives.colombia

この議員さん、BBCに出演して事の顛末を語ったとのことだけど、BBCで記事探して読むほどのことはないので、とりあえずガーディアンだけで。

※この記事は

2008年09月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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