kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年08月01日

今日のお茶ふきから(nin.com)

a nice cup of teahttp://nin.com/ 見てお茶ふきました。
Alessandro has been confiscated by the United States border patrol.

※パーマリンクはnin.comの非公式アーカイヴで:
http://ninblogs.wordpress.com/2008/08/01/hour-long-border-crossing-interrogations-at-330am-make-leo-very-angry

Nine Inch Nailsは1週間ほど前から北米ツアー中で(セットリストとか写真とかははてなダイアリにまとめてあります)、ここしばらくはカナダと米国を行ったり来たりする日程で、今日は公演後カナダから米国に入るんですが、そのボーダーコントロールでNINご一行様が1時間ひっかかった(機材が多いからなあ……楽器やアンプなどだけでなく、今回はごっつい照明機材を持って移動しているので大変だろうと思う)という話で、「アレッサンドロは入管に拘束された」と。ただしdetainedではなくconfiscatedと書いているので、冗談ではないかとの見方もできる。また、仮に入管でひっかかったのだとしてもパスポートに問題がなければすぐに解放されるはず。

「アレッサンドロ」(アレッサンドロ・コルティーニ)はイタリア人で、米国在住歴は長い(たぶん10年以上)けどパスポートはイタリア。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alessandro_Cortini

関係各所を見ると「ロブ(注:投稿者。NINのフォトグラファー)の冗談でしょう」という受け止め方がかなりあるのだけれど、ほんとだったらややこしい。NINはまだ今後も米カナダ国境越えがある(3日にシカゴのロラパルーザに出たあと、5日にオンタリオ、7日からはUS)。
http://tour.nin.com/

で、7月29日のカルガリーで、Echoplexのときに機材トラブルが発生して演奏中断→やり直しになったのだけど、そのときに間つなぎでトレント・レズナーがしゃべったときのビデオ。
http://uk.youtube.com/watch?v=CNCu00e6hLs

観客の歓声にかき消されてほとんど聞こえないのだけれど、コメント欄で誰かが可能な範囲で書き起こしをしてくれている。「機材トラブルです、すみません、いろいろ複雑で」とか「今回のツアーではこれまでカナダの日程が多くて、大変に楽しんでます」みたいなことだけではなく、「数日後にはまたブッシュの元に戻らねばならず」とか(ここで観客ブーイングで応える)「あのアホがあとまだ数ヶ月」とか。

それと、31日のウィニペグ公演では、この事件の影響で車が動けなかったらしいという話も。経路が同じ(エドモントンからウィニペグ)。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/7535840.stm

ああしかし、NINがアメリカのイミグレでひっかかるとは、ひどいブラックジョークだ。
タグ:NIN

※この記事は

2008年08月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼