kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年07月26日

労働党、またも補選で敗れる。しかも無風区のはずなのに。

現職議員(労働党)が病気を理由に辞職することになったために木曜日に行なわれたグラスゴー・イースト選挙区の補選で、SNPが議席を獲得した。開票にかなり手間取っていたようで、結果が出たのは日本時間で金曜日の夜になってからだったが、当選したSNP候補と2位の労働党候補との差は400票足らずだ。

SNP stuns Labour in Glasgow East
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/scotland/glasgow_and_west/7522153.stm

この選挙区は、2005年総選挙のときの区割変更で新設された選挙区である。2005年の総選挙では、労働党候補が18,775票で当選、次のSNP候補は5,268票と、実に13,000票もの差があった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Glasgow_East_(UK_Parliament_constituency)

また、区割変更が行なわれる前から、ここは「労働党の安全区」で、1位の労働党と2位のSNPの間には1万票以上の差があった(全体が2万とか3万とかの規模)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Glasgow_Baillieston_(UK_Parliament_constituency)
http://en.wikipedia.org/wiki/Glasgow_Shettleston_(UK_Parliament_constituency)

そういう、完全に「労働党の地盤」と言える地域で、労働党が敗れたのだから衝撃は大きい。しかもグラスゴウはゴードン・ブラウンの出身地だ(ただし選挙区は違うのだが)。

この補選のデータ的なことをBBC記事(上記)とウィキペディア(下記)から。
http://en.wikipedia.org/wiki/Glasgow_East_by-election%2C_2008

総票数は26,219(投票率42.25パーセント)で、開票結果は:
  John Mason (SNP): 11,277 (43.1%) →当選
  Margaret Curran (Labour): 10,912 (41.7%)
両者の票差は365票である。また3位以下は保守党が1,639票、LibDemsが915票、残りの小政党が5つ合わせて1,300票くらいである。

前回(2005年)は労働党がSNPに対し、13,507票の差をつけていた。

今回の補選では労働党候補選びがちょっとごたごたしていたようだが、最終的に候補になったMargaret Curranは、決して「弱い」候補ではなかった。スコットランド自治政府で要職を歴任し、スコットランド自治議会選挙ではかなりの強さを見せているとのことだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Curran_(politician)

それでも365票及ばなかったのだ。1ヶ月ほど前のボリス・ジョンソンの選挙区での補選では労働党がBNPを下回るというボロ負けの結果だったのに「あの選挙区では元々うちはダメですから」と言い訳をしてお茶を濁しつつお茶飲んでいられたらしいが、今度は無理。

保守党の「原理原則の人(笑)」が「私は現政権に反対なので辞任します(不信任決議?何すかそれは)」っつって辞職したあとに、候補を立てることすらもせず「補選」という形式の茶番劇を許したときは、部屋の中では「あいつダメじゃん」でもちきりだったのを聞かないふりをして、部屋の外でお茶飲んでいられたかもしれないが、今度は無理。

楽勝できて当然の選挙区で、僅差で勝ったのならまだしも、僅差であれ負けたのだから、もう無理。

で、関連記事がものすごい勢いで出ているので、記事が見つからなくなってしまったのだが、保守党がお約束的に「ここで解散総選挙をして民意を問うべき」とコメントし、労働党(というかブラウン)がお約束的に即座にそれを否定した、という動き(にもならないが)もあったらしい。ということは選挙は2009年で決まりでしょう(前回2005年の4年後だから)。

あと、ガーディアンは、頭が痛いというかapologistはもういいからというか何というか、「ブレア以前」の労働党(これは必ずしも「左派」とは限らない)の重鎮が「大丈夫、ブラウンはやればできる子」みたいなことを書いていたり:
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/jul/24/labour.gordonbrown

「ブレアライツ」用済み論が出ていたり:
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/jul/25/gordonbrown.labour

下のは労組の重鎮の論説記事だが、掲載媒体がガーディアンだからこそ、「アホか」としか……そもそもブラウンはブレアライトだ(笑)ということはおいといても、ブレア/ブレアリズム追及は2006年にやっとけ。いつまでもひっぱるな。責任をトニー・ブレア個人におっかぶせるな。「ブラウンはブレアとは違う」論は2007年に出尽くしていて、それが「?」だから今の状況があるというのに。というか、「42日間拘置」で労働党が受けたダメージがわかってないのだろうか。確かに、デイヴィッド・デイヴィスの辞任&補選は、それ自体に意味はなかったにせよ、波及効果は大きいものだったと思う。(ってか保守党のトリックスターが動く前に気付けよ、ってことだけどね、根本的には。)

なんかあんまりひどいんで、いつもは見ない「読者の手紙」のページまで見ているのだが、非常にセンシブルな意見があるのでそこを抜粋。
http://www.guardian.co.uk/politics/2008/jul/26/glasgoweast.labour
...

There are a number of quick, sensible policy options Brown could announce today and his ratings would go through the roof: 1) Ditch ID cards; 2) Tax the very rich who have gained most from the past decade a bit more; 3) Cancel the Trident upgrade and announce that the £75bn saved will be spent on NHS dentists for all, and reducing class sizes; 4) Announce a timetable for withdrawal from Iraq; 5) Stop bribing the City, particularly groups such as non-doms, and make the case for fair taxes and regulation; 6) Make the case for the referendum on voting reform promised in 1997.

Policies like these would be instantly popular, brave, progressive, yet not particularly radical from a supposedly centre-left government. Moreover, they are the kind of policies that energised people to vote in huge numbers for Labour in 1997. ...

Matthew Bishop
Politics department, Sheffield University

※この記事は

2008年07月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼