kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年07月08日

赤道ギニアのクーデター計画事件の傭兵隊長は、Bloody Sundayの映画に出ていた

今日は「やっぱりお茶よねぇ」っつってお茶飲んでたんだけど、飲んだお茶全部ふいた。

Coup plotter's Bloody Sunday role
Page last updated at 06:18 GMT, Tuesday, 8 July 2008 07:18 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7494281.stm

ポール・グリーングラス監督(『ボーン・スプレマシー』など)の映画『ブラディ・サンデー』(2002年、ベルリン国際映画祭金熊賞)に、禁錮34年という判決を受けたばかりの「赤道ギニアの傭兵隊長」ことサイモン・マンが出演していた! しかも「ウィルフォード大佐」役!! いくらなんでもこれは、映画を見ただけでは気付かない。

IMDBを見てみたら、確かにそうなっている。私もこのキャスト一覧は何度か見ているはずだが、この「サイモン・マン」があの「サイモン・マン」と同一人物だとは思いもしなかった(目を留めていたとしても、同姓同名の俳優さんだろうと思ったはずだ)。
http://www.imdb.com/title/tt0280491/fullcredits#cast

※「赤道ギニアクーデター計画」については、エントリ末尾に。

『ブラディ・サンデー』は、1972年1月30日のデリーでの英軍での発砲事件を、「ドキュドラマ」のスタイルで映像化した作品だ。公民権運動の組織者のひとり、アイヴァン・クーパー議員(クーパー議員と同じバックグラウンド、つまりプロテスタントの北アイルランドの俳優、ジェイムズ・ネスビットが演じる)と、あの日撃ち殺された17歳のジェリー・ドナヒー(実際にあの日に最初に射殺されたジャッキー・ダディの親戚、デクラン・ダディが演じる)、英軍司令部のパトリック・マクレラン、英軍パラ部隊の兵士「027」という4つの視点から、「あの日に何があったのか」を再現している力強いドラマである。この映画については以前少し書いているので、詳しくはそれをご参照いただきたい(あまり「詳しく」は書けていないけど)。

「ウィルフォード大佐」は、あの日現場にいた英軍パラ部隊の司令官のひとり。マーゴ・ハーキン監督のドキュメンタリー『デリー・ダイアリー』について書いたものから:
http://nofrills.seesaa.net/article/83761873.html
この記事の最後の方に、現場にいたパラシュート連隊司令官だったLieut. Col. Derek Wilfordによる事態の説明がある。この人はマーゴ・ハーキンのドキュメンタリーにも姿が出てくるが(サヴィル・インクワイアリーで証言した時期の、しゃきしゃきと歩いている姿)、軍側の《嘘》を担ったひとりである。
Lieutenant Colonel Derek Wilford, the paratroopers commanding officer, last night gave his own version: "We moved very quickly when the firing started. Their shots were highly inaccurate. I believe in fact they lost their nerve when they saw us coming in.

"Nail bombs were thrown and one man who was shot was seen to be lighting a bomb as he was shot. This is open to conjecture, but I personally saw a man with an M1 carbine rifle on the balcony of a flat. I don't believe people were shot in the back while they were running away. A lot of us do think that some of the people were shot by their own indiscriminate firing.

明らかに背後から撃たれている人がいるというのに、「あれは自分たちの側の発砲に被弾したのだ」とは、ツラの皮の厚さが5メートルくらいありそうだ。


「赤道ギニアの傭兵隊長」ことサイモン・マンについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Simon_Mann

1952年生まれ。お父さんはクリケットのイングランド代表の主将をしていたこともあり、酒造会社の御曹司。おじいさんもクリケットの代表主将をしていた。要するに名門のお坊ちゃんだ。本人はイートン校を出たあとサンドハースト(陸軍士官学校)を経てスコッツ・ガードに入り、後にSAS入りして、キプロス、ドイツ(西ドイツ)、ノルウェー、北アイルランドを経験、1985年に除隊。その後1991年湾岸戦争で呼び戻される。その間、一時コンピュータ・セキュリティの分野で事業をしていたがあまり性に合わなかったようで、湾岸戦争後はアフリカの石油開発のあまり表ざたにできない方面に関わるようになる(南アのアパルトヘイト政権との関係もあった)。そして1996年、軍での同僚だったティム・スパイサーとともに、「サンドライン・インターナショナル」社(2004年に事業閉鎖)を設立、アンゴラやシエラレオネで活動し、1997年(というだけでは、ブレア政権か、その前のメイジャー政権か微妙だが)に英国政府からパプアニューギニアの反乱鎮圧の仕事を依頼される。(なお、スパイサーはその後、「イージス・ディフェンス・サーヴィシズ」というPMCに入り、この会社はイラクで仕事をしている。スパイサーは北アイルランドで、非武装の一般人を背後から射殺した事件に現場の責任者として関わっていると指摘されている。)……というように、「場数を踏んできている」元SASの兵士・傭兵、「戦争のプロ」だ。

赤道ギニア(大陸がくびれている箇所のすぐ南側、カメルーンとガボンの国境のところにある)は、アフリカ大陸西岸の小国で、外務省の基本データのページを見ると、人口は50万人にも満たないが、石油・天然ガスを有する国である。国家元首はテオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバゾゴ大統領(名前を短くするときは、日本語では「オビアン・ンゲマ大統領」とする)。1979年にクーデターで実権を掌握したあとずっと、同国の大統領として君臨している。この大統領は、同国の資源開発で相当私腹を肥やしているらしい。

サイモン・マンは、このオビアン・ンゲマ政権を転覆する計画に関わったとして、2004年、ジンバブエのハラレ空港で逮捕された。そして赤道ギニアに身柄を送られ今回の公判となったわけだが、その経緯などについては私の手には余りすぎているので、書くことはできない(単に「誰が何でどこで何をしたか」を把握するだけでも、私には大変だ)。ただ、赤道ギニアといえば、オビアン・ンゲマのクーデターの前の1972年のことになるが、最強のスナイパーの行動を克明に描いた小説で一山当ててお金持ちになったどこぞの小説家がごにょごにょして、その結果、『戦争の犬たち』という名作が書かれたことを思い出さないわけにはいかない。

つまり、これは、『ブラディ・サンデー』のDVDと『戦争の犬たち』の文庫本を並べているあなたはラッキーよ、というお告げだろう。(何が)

で、ばたばたしていたせいで私はたまたま見逃していたのだが、6月17日、「赤道ギニアのクーデター計画」の裁判にマンが出廷したときのガーディアンのプロフィール記事に、サイモン・マンの『ブラディ・サンデー』出演について書かれている。
http://www.guardian.co.uk/uk/2007/may/09/equatorialguinea.world
There was also an appearance in a gritty television reconstruction of Bloody Sunday in which he agreed to play the part of Colonel Derek Wilford, commander of the paratroopers who fired on marchers in Derry. In 2002, Mann told the Guardian he took the part to defend the army, though he admitted Bloody Sunday was a "cock up".

言ってることがよくわかりません。「英軍のために出演を引き受けた」と言いつつ「ブラッディ・サンデー事件(で軍が『テロリスト』に襲撃されたので反撃したのだという軍の言い分)は『根拠のないでっちあげ』だ」とも言っている。

BBC記事では、監督のポール・グリーングラスが次のように述べているとある。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7494281.stm
Paul Greengrass, the director and writer of Bloody Sunday, said Mann was a "humane man, but an adventurer... very English, a romantic, tremendously good company".

これもまたよくわかりませんが、要は「人間くさい人で、冒険心に富んでいる。非常にイングランド人的なロマンティックな人物で、一緒にいるととても楽しい」。なんか、「19世紀のイングリッシュマン」の典型のような……。

少なくとも、『ブラディ・サンデー』の映画で、実際にその出演シーンを見直さないと。

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「赤道ギニアクーデター計画」についての記事:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/E%20Guinea/ にメモってあります。

AFP BB(日本語)@6月18日:

記事の下の方から少し:
 マン被告は、アパルトヘイトが撤廃される前の1991年、南アフリカに民間軍事会社「エクゼクティブ・アウトカムズ(Executive Outcomes)」を設立。戦闘経験が豊富でよく訓練された南アフリカ人、ローデシア人を、人種を問わず採用し、アンゴラやシエラレオネ、遠くはパプアニューギニアまで、紛争地帯に送り込んだ。同社は、定期的に支払う給料のほかにも、健康保険や年金なども完備していた。
 ……
 マン被告ら約60人が2004年にジンバブエで逮捕されたが、このうちの少なくとも1人は1998年にエクゼクティブ・アウトカムズを吸収合併したサンドライン・グループ(Sandline、本社:ロンドン)の雇い兵ではないかと報じられた。この1998年は、南アフリカが世界で初めて雇い兵を禁止する法律を採択した年だ。
 ……


で、今回の公判で、サイモン・マンは「確かに私はプロットの中核にいたが、私だけで計画を進めたわけではない」としてサー・マーク・サッチャー(故デニス・サッチャーとマーガレット・サッチャー元首相の息子)の存在の大きさ(「計画のオーガナイザー」だったという話)を語り、また、南アフリカ政府やスペイン政府が計画を承認していたとも語っている。

公判が始まったときのBBC記事(6月17日):
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7458274.stm

「計画のオーガナイザーはマーク・サッチャー」という証言のときのガーディアン記事(同)。その前に、「全体の指揮はレバノンの富豪」との主張もしていた:
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jun/17/equatorialguinea1
In his first media interview since his arrest, Mann told Channel 4 in March that the London-based Lebanese millionaire Ely Calil was the main instigator of the plot. Calil has always denied involvement. Mann said he was the "manager" of the coup, but did not plan it.

Mann also said Thatcher was "part of the team". Thatcher pleaded guilty in South Africa in 2005 to helping to charter a helicopter that he agreed "might be used for mercenary activity". Under a plea bargain he received a four-year suspended sentence and a £265,000 fine.

で、このガーディアン記事には、赤道ギニアでの裁判が公平になりうるのかどうかという懸念が出ていることもかなり強く書かれているのだが、実際、BBC記事では「法廷内は携帯電話やカメラ類はもとより、メモ帳とペンまで持ち込み禁止だった」と伝えられている

「スペイン政府(アスナール首相、1969年の独立前の宗主国)と南アフリカ政府(ムベキ大統領)は計画を承認していた」との証言のときのBBC記事(6月18日):
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7461884.stm
If the plot had been successful, veteran Equatorial Guinea opposition leader Severo Moto, then based in Spain, would have become the new president, Mann told the court.

He said Sir Mark had agreed to send a helicopter to transport Mr Moto to the region. Sir Mark has said he believed the helicopter was to be used as an air ambulance.

Mann said the plot was rushed through before the 2004 general elections in Spain, in case the government of Prime Minister Jose Maria Aznar was defeated, Reuters news agency reported.

A Spanish foreign ministry official has denied any involvement.


「禁錮34年4ヶ月」の判決が出たときのBBC記事(7月7日):
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7493717.stm
Former British soldier Simon Mann has been sentenced to 34 years and four months in jail by an Equatorial Guinea court for his role in a 2004 coup plot.

...

The former special forces officer, 56, had apologised, saying he was not the most senior coup plotter.


同じく、ガーディアン記事:
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/07/equatorialguinea
とても長い記事なのだが、いくつか要点:
The sentence is longer than expected. During the trial, José Olo Obano, Equatorial Guinea's attorney general, urged the court to sentence Mann to 31 years, eight months and three days. The death penalty was not permitted under the terms of Mann's extradition from Zimbabwe. It was suggested last month that Mann may be released before completing any sentence.

つまり、ジンバブエからこの英国人を赤道ギニアに引き渡すときに、死刑にはしないことを約束していた(英国は、死刑のある国への犯罪者身柄引き渡しを行なうことを違法としている)が、赤道ギニアの司法長官は「31年8ヶ月3日の禁錮」を求刑すべきとしていた。が、実際にはそれを上回る刑期が言い渡された。しかし先月、マンは刑期を満了する前に釈放されるかもしれないという話も出ていた。(うん、いろいろと裏を読んでしまいますね。クーデター計画の本当の中心人物は私ではない、とマンは主張しているのだけれども、事実上の終身刑を宣告され、しかしながら早期釈放の可能性もある、と。)

Mann was ordered to pay a fine and compensation to the Equatorial Guinea state totalling around $24m (£12.1m). Mangue said in the ruling that Mann failed to show "an attitude of regret", despite his apology before the court.

禁錮だけでなく罰金も(それもすごい額の)。

During the trial in Malabo, a contrite Mann claimed he was "not the person I was" after four years in prison. He claimed that Spain and South Africa, with the endorsement of the South African president, Thabo Mbeki, had supported the plot. By January 2004, two months before the attempted coup was put into action, it was, Mann said, "like an official operation. The governments of Spain and South Africa were giving the green light: 'You've got to go, you've got to do it.'"

Senior members of the Equatorial Guinea army, police and cabinet were also implicated, Mann said, and he was given details of President Teodoro Obiang's daily movements and his health problems. From the Pentagon in Washington, and from the CIA and the big US oil companies, came tacit approval for regime change, according to Mann.

ほんとにキャット・シャノンですか、この人。フォーサイスせんせー。

Mann told the court that he took Thatcher to the Chelsea home of Ely Calil, the Lebanese businessman who is alleged by the government of Equatorial Guinea to have been the main financier of the plot. He named the management board as Calil, himself, a London property developer, Thatcher and a Lebanese colleague of Calil who lives in Beirut.

つまり、マンの証言では、クーデター計画首謀者は、レバノン人富豪(ロンドン在住)のカリルと、マンと、ロンドンの不動産業者(記事に名前が出ていないけれど)と、マーク・サッチャーと、もうひとりのレバノン人(ベイルート在住)の5人である、と。同志、これは西側の(以下略

「赤道ギニアクーデター計画」について、BBCのQ&A記事:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/3597450.stm
Mann said the idea was to install Equatorial Guinea's veteran opposition leader Severe Moto as head of state. He has been found guilty in absentia but has denied any involvement.

The BBC's Newsnight television programme saw the financial records of Mann's companies showing large payments to Nick du Toit and also some $2m coming in - though the source of this funding has not been traced.

この部分の上のパラグラフに関しては、もろに『戦争の犬たち』であるということで。下のパラグラフに関しては、オランダ系南ア人で元軍人で武器商人のNick du Toitにどこからか巨額の支払い、というだけで、物騒な話題に慣れていないあたくしの繊細な頭では処理できません。



なお、サイモン・マンは1952年生まれで、1972年のブラディ・サンデー事件のときは19歳、このころはまだサンドハーストにいただろうし、卒業していたとしても彼の所属はスコッツ・ガードだから事件には関わってはいないと合理的に判断される。ただ単に、事件から30年後のドラマ化で、事件現場にいた軍人の役で出演していただけである。

※この記事は

2008年07月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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