kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年07月03日

1994年6月18日、W杯でアイルランドはイタリアに勝ち、ダウン州のパブでは銃が乱射され6人が殺された――「汚い戦争」

6月30日夜(英国時間)、イングランドのケント州、メイドストン(ロンドンの真南にある町)で、14年前の殺人事件に関与しているとしてひとりの男が逮捕されたことが報じられた。

Man arrested over six bar murders
Page last updated at 21:49 GMT, Monday, 30 June 2008 22:49 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7482568.stm

7月2日夜(英国時間)、その男が釈放されたことが報じられた。

Police free bar killings suspect
Page last updated at 19:38 GMT, Wednesday, 2 July 2008 20:38 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7486588.stm

この男が関与を疑われた事件は、1994年6月18日、北アイルランドのダウン州、ダウンパトリック近郊のLoughinislandという村で起きた。


大きな地図で見る

その晩、村のパブに集まった人々は、テレビでサッカーの試合を観戦していた。それも「いつものサッカーの試合」ではない。94年ワールドカップ(アメリカ大会)のグループEの初戦、アイルランド共和国対イタリアだ。(ちなみに、このワールドカップはイングランドはいなかった。スコットランドも北アイルランドも、もちろんいなかった。つまり、ユニオニスト的にはヒマなワールドカップだったはずだ。)

アイルランド共和国代表は、そこそこ強いが、大きな大会では予選敗退ばかり、というチームだった。しかし1986年に監督に就任したジャック・チャールトン(ちなみに彼はイングランド人で、共和国代表監督としての実績で後に「名誉市民権」を受けている)のもとで88年ユーロに出場、90年ワールドカップ(イタリア大会)では大会出場実現どころかベスト8まで行き、92年ユーロは予選で敗退するも、94年のワールドカップでは予選でデンマークをかろうじて上回って出場権を獲得した(ちなみにこの予選では北アイルランドが同じ組にいた)。

(今から振り返れば)「北アイルランド紛争」の末期といえる局面に入りつつあった1993年から94年にかけての時期(94年8月末にIRAが停戦し、10月にロイヤリストが停戦したのがひとつの大きな区切り)に、関係国のなかで唯一本大会に出場したアイルランド共和国代表を、北アイルランドの共和国サポさんたち(つまり「カトリック」の人たち)は、どんな気持ちで応援してたんだろう。そして初戦の結果にどれほど喜んだだろう――1994年6月18日の試合は、アイルランドが1-0でイタリアに勝利した。「大舞台で、あのイタリアに勝った」アイルランドはお祭り騒ぎだ。(なお、この後、「強豪」にして前回大会開催国で3位だったイタリアは、トーナメントに進むためにプレーオフを戦うことになる。)

しかし、Loughinislandの村の、The Heights Barという名のパブに集まっていた人たちには、その夜は、「勝利」の夜ではなく、「暴力」の夜として記憶されることになった。そのパブを銃を持った男たちが襲撃し、店内に向けて銃を乱射した。サッカーを見ていた一般の人たち6人が殺された。

アルスター大学のCAINデータベースにある死者名簿から、1994年のページを見てみる。
http://cain.ulst.ac.uk/sutton/chron/1994.html

概略だけわかるように日本語で(「翻訳」ではありませんので、ちゃんと調べたい人は必ず原文をご参照ください):
1月27日、ベルファスト、51歳のカトリックの一般人 (civilian) がUFF/UDAに射殺された。
1月27日、バリミナ、31歳のカトリックの一般人がUVFに射殺された。
1月27日、ダウン州、27歳のプロテスタントの一般人がガソリンスタンド強盗を働き、警察に射殺された。
2月3日、ダウン州、31歳のカトリックのタクシー運転手の一般人がUVFに射殺された。
2月10日、ラウス州、42歳のカトリックでINLAのリーダーだった男性が、何者かに射殺された。
2月17日、ベルファスト、30歳のプロテスタントの警官が、IRAが警察を狙った迫撃砲攻撃で殺された。
2月24日、ベルファスト、55歳のカトリックの一般人が7日前にRHC (Red Hand Commando) に撃たれたときの負傷が原因で死亡した。
2月24日、ベルファスト、23歳のプロテスタントの警備員で一般人が、INLAに射殺された。
3月10日、ベルファスト、33歳のプロテスタントの警官@非番が、IRAに射殺された。
3月11日、ポータダウン、38歳のカトリックの一般人が、UVFの仕掛け爆弾で殺された。
4月7日、ベルファスト、31歳のカトリックと誤認されていたプロテスタントの一般人が、RHCに射殺されているのが発見された。
4月12日、ベルファスト、21歳のプロテスタントのUVFメンバーが、UVFに射殺された(7日の事件に関わっていたとされる)。
4月14日、ベルファスト、34歳のカトリックの一般人(シン・フェイン党員の配偶者)が、UFFに射殺された。
4月20日、デリー、23歳のプロテスタントの警官が、IRAの迫撃砲攻撃で殺された。
4月24日、デリー州、40歳のプロテスタントの一般人が、IRAに射殺された。
4月25日、ベルファスト、23歳のカトリックの一般人が、IRAに射殺された(犯罪を働いて「処刑」されたらしい)。
4月26日、ベルファスト、52歳のカトリックの一般人が、UFFに射殺された。
4月27日、ベルファスト近郊、43歳のプロテスタントの一般人が、INLAに射殺された。
4月27日、ベルファスト、25歳のカトリックの一般人が、UFFに射殺された。
4月28日、ベルファスト、47歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
4月28日、アーマー近郊、40歳のプロテスタントで元UDR兵士だったひとが、IRAに射殺された。
4月29日、ダウン州ニューリー近郊、23歳の北アイルランド出身ではないIRAメンバーが、IRAによって射殺された(内通者と疑われていた)。
5月3日、ベルファスト、44歳のプロテスタントの一般人がINLAに射殺された。
5月8日、ティローン州ダンガノン、76歳のカトリックの一般人(おばあちゃん)が、UVFに射殺された。
5月12日、ベルファスト、23歳のカトリックの一般人がUVFに射殺された。
5月13日、アーマー州ラーガン、38歳のプロテスタントの一般人(警察署の職員)がIRAの仕掛け爆弾で殺された。
5月14日、アーマー州キーディ、27歳の英陸軍の軍人が、検問所へのIRAによる爆弾攻撃で殺された。
5月17日、ベルファスト、42歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
5月17日、ベルファスト、24歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
5月18日、アーマー、17歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
5月21日、アーマー、19歳のプロテスタントの英軍RIRメンバー@非番が、IRAに射殺された。
5月21日、ダブリン(アイルランド共和国)、35歳のカトリックのIRAメンバーが、シン・フェイン関連のパブへのUVFの爆弾攻撃を止めようとして、UVFに射殺された。
5月23日、ベルファスト、19歳のプロテスタントで警備員の仕事をしていた一般人が、IRAに射殺された。
6月9日、ベルファスト、50歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
6月16日、ベルファスト、31歳のプロテスタントのUVFメンバーが、INLAに射殺された。
6月16日、ベルファスト、43歳のプロテスタントの一般人が、INLAに撃たれて後日死亡した。
6月16日、ベルファスト、41歳のプロテスタントのUVFメンバーが、INLAに撃たれて後日死亡した。
6月17日、アントリム州カリックファーガス、27歳のカトリックの一般人でタクシー運転手が、UVFに射殺された。
6月17日、アントリム州ニュータウンアビー、30歳のプロテスタントの一般人が、UVFに射殺された(カトリックだと誤認されていた)。
6月17日、アントリム州ニュータウンアビー、32歳のプロテスタントの一般人が、UVFに撃たれて後日死亡した(カトリックだと誤認されていた)。


……こんな感じに次々と「射殺」、「襲撃」、「攻撃」が起きている。多くの犠牲者が、自宅とか近所の道路とか友人の家とか親戚の家といった場所で殺されている。警備員で仕事中に殺された人や、職場の駐車場に爆弾が仕掛けられていて殺された人もいる。つまり、「戦闘」での死者ではない。しかしそれにしてもこの数と頻度。CAINのリストを上のように概略だけ示す形で日本語にする作業をしているだけで、私の鼻の奥や喉の奥に血の味がしてくるような感覚がある。1994年はそういう年だ。(1994年に限らず、だけれども。)

そして6月18日、ダウン州Loughinislandのハイツ・バーの事件。襲撃してきたUVFのガンマンに殺されたのは6人。全員が「カトリック」で「一般人」で――つまり、IRAメンバーやINLAメンバーはいなくて――、年齢は34歳から87歳まで。(87歳の犠牲者は、北アイルランド紛争全体を通じての最高齢の犠牲者である。)
- Adrian Rogan (34) Catholic
- Malcolm Jenkinson (52) Catholic
- Barney Greene (87) Catholic
- Daniel McCreanor (59) Catholic
- Patrick O'Hare (35) Catholic
- Eamon Byrne (39) Catholic

6月はこの事件が最後で、翌7月は:
7月11日、アントリム州リスバーン、44歳のプロテスタントの元UDAメンバーでUDP党員(UDAの政治組織のメンバー)が、IRAに射殺された。
7月17日、ファーマナ州ロスリー、34歳のカトリックの一般人が、IRAに射殺された(内通者との疑いがあった)。
7月22日、アントリム州ニュータウンアビー、44歳のカトリックの一般人が、UFFに射殺された。
7月31日、ベルファスト、33歳のプロテスタントのUDAメンバーが、IRAに射殺された。
7月31日、ベルファスト、32歳のプロテスタントのUDAメンバーが、IRAに射殺された。
8月5日、アントリム州クラムリン近郊、48歳のプロテスタントの一般人が、UVFに射殺された。
8月7日、ティローン州オマー近郊、38歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
8月8日、ダウン州クロスガー、46歳のプロテスタントの英軍RIRのメンバー@非番が、IRAに射殺された。
8月10日、ベルファスト、60歳のカトリックで警備員をしている一般人が、UFFに射殺された。
8月11日、アーマー州ラーガン、36歳のカトリックの一般人が、UFFに射殺された。
8月14日、ベルファスト、20歳のカトリックの一般人が、UFFに射殺された。
8月18日、ダブリン(アイルランド共和国)、45歳の北アイルランド出身ではない一般人が、IRAに射殺された(犯罪者の可能性)。
8月31日、アントリム近郊、37歳のカトリックの一般人が、UVFに射殺された。
★ここでIRAの停戦宣言
9月1日、ベルファスト、32歳のカトリックの一般人が、UFFに射殺された。
★ここでロイヤリストの停戦宣言
11月10日、ダウン州ニューリー、54歳のカトリックの一般人が、職場(郵便仕分け所)に押し入った強盗=IRAによって射殺された。
12月22日、ベルファスト、47歳のカトリックの一般人が、組織名不確定のロイヤリストによって撲殺された。


……というように、8月末のIRAの停戦以後は水が引いたように静かになっている。

しかしその前はひどい状態だった。特にロイヤリストがカトリックの一般人をターゲットに大暴れしていた。6月18日の「パブでサッカー観戦中の人々に銃乱射」という事件は、そういうコンテクストの中にある事件だ。

そしてこの事件、容疑者として何人かの名前が浮上したのだが、「犯人」は捕まっていない。もちろん、誰も起訴されていない。

「犯人」として挙げられた中には、1996年の夏に「停戦」しているUVFを脱退して新たにLVFという分派を立ち上げた過激派中の過激派、ビリー・ライトの名前もあったそうだが(私がそれを知った情報源はちょっとガチすぎるサイトなのでリンク自粛。適切なキーワードを設定して丁寧に検索すれば出てきます。もっとマイルドなサイトもあるかも)、ライトは1997年に脅迫事件で有罪となって投獄されていたメイズ刑務所(ロング・ケッシュ:1983年の「大脱走」も参照)の中で、INLA(カトリック系過激派組織)のメンバーに射殺されるという、あまりにも謎の最期を遂げている。(1983年ならまだしも、1997年に囚人が銃を手にすることができたというだけでもおかしなことだから、獄中のINLAを「死の部隊」として当局が利用し、あんなことやこんなことを知っていたライトを抹殺した、という説もあるほどだ。)

そして、ライトを射殺した実行犯のひとりもまた、昨年6月に刑務所で首を吊って死亡した。ビリー・ライト殺害事件については昨年5月、実行犯が首吊って死ぬ1ヶ月弱前にパブリック・インクワイアリーが開始されているのだが、ライトを銃撃したときの武器の入手についてなど、事件の詳細はまだよくわからないままになっている。警察は証拠書類を廃棄してしまっているらしく、インクワイアリーの結論に何か期待できるかというと、非常に微妙なところだ。

ビリー・ライトの話はおいといて……。

1994年6月18日の「ハイツ・バー銃乱射事件」もまた、単に「UVFの暴力」で片付けられないのではないかと考えられている事件のひとつだ。

今から約2年前、2006年6月のシン・フェインのプレスには次のようにある。
www.sinnfein.ie/news/detail/14641
"For 12 years the families of the six men killed by the UVF at Loughinisland have patiently waited for justice. As the years have gone on the families have began to raise serious questions about the murders and specifically the subsequent investigation into it.

"It has now emerged that:
* A British Agent has admitted supplying the car used in murders
* The car used by the murderers to get away has subsequently been destroyed by the investigating team
* A hair follicle was found on one of the balaclavas - yet nobody has been charged
* At least one of the weapons used was imported from South Africa by British Agent Brian Nelson
* The PSNI have consistently refused to answer questions from the families preferring to hide behind the Official Secrets Act

"This situation is disgraceful and goes to the very heart of the British systems involvement in Ireland. At least one British agent was directly involved in the murders and that the subsequent investigation by both the PSNI and RUC has been more of a cover-up than anything else.

"Sinn Féin will continue to support the families of those murdered at Loughinisland in their campaign for the truth about what happened on that night 12 years ago. ..."

つまり、2006年6月の時点で、
- ハイツ・バー襲撃に使われた車を供与したことを、英国のエージェントが認めている
- 襲撃犯が現場から逃げるときに使われた車は、後に捜査班によって破壊されている(ああ、NIにはありがち……)
- 犯人がかぶっていたバラクラバのひとつに、毛包が1つ付着していたが、誰も起訴されていない
- 使用された武器のうち少なくともひとつ(一丁)は、英国のエージェントであるブライアン・ネルソン(→Peter Taylor記事、ガーディアンPaul Foot執筆のオビチュアリ)が、南アフリカから輸入したものである
- 犠牲者の遺族が何度も質問を送っているが、北アイルランド警察(PSNI)は、Official Secrets Act(機密保持法)をたてに、それに答えることを拒否し続けている

……以上のようなことが指摘されている。(この指摘は、映画『オマー』をご覧になった方にはいろいろと連想されるものがあるのではないかとも思う。)

こういったことから、シン・フェインは「英国政府と北アイルランド警察(新旧あわせて)は組織的な隠蔽を行なっている」としてプレッシャーをかけている、というのが上記のシン・フェインのプレスの主旨だ。

まあ、2006年から今までの間にいろいろと明らかになったことがあるので、いくら信じたくてもいろいろと微妙でもある。("Blair redrafted an IRA statement at Chequers in the presence of Adams in 2003 and Powell regularly drafted Sinn Féin statements." とかねぇ……ブレアやパウエルが下書きしたんなら、それIRAやシン・フェインのステートメントじゃないじゃん。英国政府のステートメントじゃん、みたいな話がいろいろと。)
http://nofrills.seesaa.net/article/89880794.html
http://nofrills.seesaa.net/article/90251643.html
http://nofrills.seesaa.net/article/90008930.html

Great Hatred, Little RoomGreat Hatred, Little Room
Jonathan Powell


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で、またもや話がズレたんだけど、ハイツ・バー事件については要するに当局の組織的な、または当局所属の人物の個人的な手引きというか協力があってはじめて実行可能になったということはほぼ確実なのだが、真相究明にはほど遠い状態である。

そんな中、「イングランドで容疑者逮捕」ときたのだが、結局、取調べの結果、容疑が晴れた、というのが今日の段階での報道だ。

容疑者として名前が浮上したビリー・ライトは1997年に射殺され、武器について知っているはずのブライアン・ネルソンは2003年4月に病死した。

せめて、誰が、何のために、ワールドカップで盛り上がってる村のパブを襲撃したのかくらいは判明してほしいと思うのだが。



当ブログの過去記事から(太字は転記時に補った):

ロイヤリスト武装組織UVFはまだ「戦争中」@2006年04月15日
http://nofrills.seesaa.net/article/22650856.html
We won't give up guns yet, say UVF
Deadline for deal holds key to moves
By Brian Rowan
13 April 2006
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/story.jsp?story=686796
【転記時注:↑デッドリンクです。ベルテレさんでサイト再編があったため】

……

IRAの「闘争(struggle)」ないし「戦争(war)」は、「帝国主義的支配者」に対するものであるとして(実際に現れた現象としてそうであるかどうかはさておき)、UVFやUDAの「戦争(war)」は何に対するものか。
ON THE LOYALIST WAR:

UVF: I would still say that that campaign was justified and that that campaign was legitimate. The constitutional integrity of Northern Ireland was under threat. The pro-Union population of Northern Ireland were under threat, and this organisation responded commensurate to that level of threat.

そう、「threatに対する自衛」の「戦争」というのが、彼らの主張である。

インタビュアーはこの直後にダブリン-モナハン爆弾事件(1974年のUVFの爆弾テロ。33人死亡)などについて、justified なのか、legitimate なのかと問う。UVFは「個別の事件については答えられない」と応じる。インタビュアーは、ではLoughinisland(1994年のUVFによる銃乱射。6人死亡)は、と問う。UVFは次のように答える。

UVF: What I will say to you is that the Ulster Volunteer Force campaign was justified.


つまり、「UVFのやったことは、UVFのキャンペーンなのだから、正当なものである」のだ、と。

インタビューの少しあとの部分:
ROWAN: There were many individuals - innocent individuals - killed. Would you accept that?

UVF: I would accept that in the course of the conflict that many civilians have been killed.

ROWAN: And your organisation regrets that. Is that what you are saying?

UVF: I'm saying that our organisation have offered abject and true remorse as of our October 1994 statement and our position remains unchanged.

ROWAN: But the loyalist war, you're saying, was still justified.

UVF: Clearly, yes.


UVFは「コラテラル・ダメージ」とか「ミステイク」とは言えない。そう言える立場(などというものがあるとすればだが)にはない。なので壊れたレコードのように「UVFは正しい」と言い続けるしかないのだろう。

……




この事件を含む「UVFの犯行」の主だったもののリスト。昨年5月、UVFが活動停止を宣言したときのBBCの解説記事。
UVF's catalogue of atrocities
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6617329.stm

以下の5件の事件について、端的に解説されている。
1971: MCGURK'S BAR, BELFAST
1974: DUBLIN AND MONAGHAN BOMBINGS
1975: MIAMI SHOWBAND MASSACRE
1970s: SHANKILL BUTCHERS
1994: THE HEIGHTS BAR, LOUGHINISLAND



事件の現場となった「ハイツ・バー」は、事件後も営業を続けていた。事件から4年後の1998年のワールドカップ期間中は、サッカーを見るためにここに来たお客さんはほとんどいなかったらしい。実際、この村は「北アイルランド紛争」のコンテクストでは1994年のこの陰惨な事件でしか出てこないし、ほかのニュースでもまず見ない地名だ。

昨年6月1日、BBCでこのバーが売りに出されるということが報じられた。その後どうなったのかは記事がないのでわからないが。

Time may be called on symbolic bar
By Fiona Murray
BBC News Website
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6705265.stm

この記事によると(以下、概略):
200年にもわたってこの地域のコミュニティの中心となってきた家族経営のこのパブが売却されれば、ひとつの時代の終わりとなる。

地域の人々は、このパブを酒類提供施設として保っておきたいと考えているが、建物は取り壊されることになるのではないかと心配している。

30年に渡って店主をつとめてきたヒュー・オトゥールさんは、土地家屋を買いたいという人は多いと話す。「昔のお客さんはもうずいぶん少なくなってしまい、新しい顔が毎日現れます。誰かが買ってくれて、そしてパブとして続けていってくれればよいのですがね」

地域では元々よく知られたパブだったが、メディアで取り上げられたのは1994年6月18日の事件のときのことだ。

事件からかなりの歳月が流れたが、村の人々はあの悲劇にはなるべく触れたくない。ヒューさんは「会話のなかでふと出てくることもないわけではないですが、めったにないです。誰かが自分から口にするということはあまりありません。忘れることなどできませんが、乗り越えようとしているのです」

このパブに通って30年になるというケヴィン・ゴードンさんも、プライベートなことだという意見だ。「実際に巻き込まれた人、目撃した人、事件に遭遇したけれど死ななかった人、そういう人たちの間でのプライベートな会話ではときどき口にされるかもしれませんが、それ以上はないんです。公になるようなところでは決して語られることはないでしょう」

このパブにはあらゆる職業・肩書きの人が集まる。チャリティ活動の資金集めの会場にもなってきたし、そういう活動でこの地域の人たちが世界各地に行くこともあった。地元のGAA(ゲーリック・スポーツ協会)所属のチームが勝ったとかいったときにお祝いをすることも多かった。

店主のオトゥールさんは、このバーの魅力は、長い年月を経て受け継がれてきた暖炉など、独特の個性にある、と言う。「アルスター(原文のUlsterのママ)で最初にテレビを設置したパブなんですよ。アイルランドでも初めてじゃないですかね。1950年か52年のことです」

地域自治会の会長のウィリー・マクナマラさんは、ここは「純粋なアイリッシュ・パブ」だと言う。このコミュニティからはすでに商店や郵便局が消えているが、そんな村の中心地がここなのだ、と語る。「あの店は、労働者だけのパブではありません。宗教的にも社会的階級の点でも幅広い人が集まる店で、だからこそ地域にとってとても重要なんです。あの店で、人々があれこれ話をしたり情報交換をしたり、取引をしたり商談をまとめたりするんです。このような場所を失うことは、地域のスピリットを壊すことに直結します」

地域の人々は、このパブは「シンプルで、田舎らしい雰囲気があり、ビールが美味い」から人気があるのだ、と言う。ケヴィン・ゴードンさんは、「入ってみたらやけに静かだなあという日もある。逆に、あちこちで歌を歌って大騒ぎしている、という日もある。このパブがなくなったら、地域にとってはひどく残念なことですよ。ここがなくなってしまったら、Castlewellanから Annacloyまで、間に一軒のパブもなくなってしまうんですから」

店主がこれからどうするかは決まっていないが、パブの建物の取り壊しはしないでほしいと考えている。「この場所がなかったら1年ずっと会わずに済んでしまう、という人がたくさんいます。なくなるのは残念ですよ」

この小さな村は、デリー(1972年ブラディ・サンデー)や、オマー(1998年オマー爆弾テロ)のように、地域の人たちが「事件を『風化』させまい」と懸命に動いているわけではない。おそらくは政治的なあれこれに巻き込まれることを望んでいないのだろう。

2006年に、犠牲者の遺族らが弁護士を通じて、北アイルランド警察オンブズマンに正式に、事件捜査において警察に重大な不備があったとの申し立てを行なっている。

容疑者の釈放を報じるthe Irish Timesの記事から:
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2008/0703/breaking8.htm
In 2006, the families, through their solicitors, formally complained to Northern Ireland Police Ombudsman Nuala O'Loan about serious flaws in the police investigation into the murders.

They alleged "police mismanagement" of items of evidence seized at the time that, they argued, could be tested to find clues that could identify the killers. In particular they questioned why the getaway car used in the murder was "wilfully destroyed by police".

※この記事は

2008年07月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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6月18日、「あの日」がまためぐり来て、「あの日」と同じ対戦カードで、アイルランド代表は喪章をつけてピッチに立つ。
Excerpt: 「アップデートしなきゃ」と思っていたのだが、気づけば1年近く経過していた。 1994年6月18日、ワールドカップ米国大会でのアイルランド対イタリアの試合を観戦していた「カトリック」の人々に、UVFの..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2012-05-20 22:56





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼