kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2008年06月14日

消えたイラク復興資金――6月10日のBBC Panorama

BBCのチームがイラクの「復興」資金の行方を調査したものが、6月10日火曜日のBBCのPanoramaで放映された。土曜日の時点でまだPanoramaのサイトに上がっていないのだが (Panorama: Daylight Robbery will be available to watch on this site shortly とある)、2分弱のプレビューは見ることができる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/panorama/7440832.stm
Panorama investigates claims that as much as $23bn (£11.75bn) may have been lost, stolen or not properly accounted for in Iraq. Daylight Robbery: BBC One, 9pm, Tuesday, 10 June 2008.

イラクのために使われることになっていた$23bnの資金が、失われたか盗まれたか使途不明になったかであると言われている。BBCのPanoramaはこの件について取材した――2008年6月10日火曜日の午後9時から、BBC One、『白昼の強奪 Daylight Robbery』


「プレビュー」といってもインタビューの抜粋などではなく、非常によくできた「イメージビデオ」的なアニメーションで、英語が聞き取れても聞き取れなくても「見ればわかる」だろう。

【画像】6コマをキャプチャしたもの:



音楽はフランク・シナトラの "That's Life"(聞き取れた歌詞を検索して探した)。
I've been a puppet, a pauper, a pirate,
A poet, a pawn and a king.
I've been up and down and over and out
And I know one thing:
Each time I find myself, flat on my face,
I pick myself up and get back in the race.

That's life
I tell ya, I can't deny it,
I thought of quitting baby,
But my heart just ain't gonna buy it.
And if I didn't think it was worth one single try,
I'd jump right on a big bird and then I'd fly

ははは。

この番組の内容をまとめた記事:

BBC uncovers lost Iraq billions
By Jane Corbin
BBC News
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7444083.stm

【要旨】
BBC Panoramaは、米国政府およびイラク政府筋から、$23bnの資金の行方を追い、イラク戦争(紛争)と復興から何社かの私営企業がどれだけの利益を得ているのかを調査した。

米国では緘口令がしかれており、この疑惑について話をすることができない。実際に、米国の大企業が法廷に立った70の裁判でこの緘口令が適用されている。

ブッシュ大統領が大統領職にある限りは、この緘口令が解除される見込みはない。また、これまでのところ、不正(fraud or mismanagement)で訴えられた米国の大企業はない。

しかし民主党は、イラクでの戦争による不当利益行為について、追及を続けている。

米下院監視政府改革委員会の委員長を務めるヘンリー・ワックスマン(注:カリフォルニア州選出の下院議員)は、「これらの(私営企業との)契約で無駄になったり不正に使用されたりした金は、とんでもない額にのぼる」と述べる。「戦争での不当利益行為としては史上最大のものではないか」。

開戦前、ペンタゴン(米国防総省)の要職者のひとりで調達部門の責任者だった人物は、ハリバートンに与えられた契約に反対していた。ディック・チェイニーが副大統領になる前にCEOをつとめていたこのテキサス州の会社には、70億ドルにもなりうる契約が与えられていた。

異例なことに、(この仕事で)入札に参加したのはハリバートンだけだった。もちろん落札したのも同社である。

行方不明となっている数十億ドルを追っていた番組は、ロンドン西部、アクトンの1軒の家にたどり着いた。ハジム・シャラアンが2004年まで住んでいた家だ。彼は2004年にイラク新政府によって防衛大臣に指名された。

ハジム・シャラアンとその縁故者がイラク防衛省から吸い上げた金額は、120億ドルになると推計されている。ポーランドから古い軍装備品を購入しておいて、最高級の武器だと言っていたのだ。また、資金を自分たちの個人口座に入金させてもいる。

イラクのCommission for Public Integrity(注:2004年1月設立。「公職不正防止委員会」のような感じか)のラドヒ・アル=ラドヒ判事が調査を行なった。「彼らは犯罪者であると私は確信しています。イラク防衛省を再建することもせず、その結果、暴力と流血はいつまでも続いた。イラク人も外国人も殺害され続けたのです。彼らはその責任を負っています」。

シャラアンには懲役刑が宣告されたが、イラク国外に逃げてしまっている。彼は潔白を主張し、イラク政府内のイラン支持の議員による謀略にはめられたのだと主張した。インターポールから逮捕状が出されているが、彼は自家用ジェットを使い、世界中を逃亡している。今でもロンドンのマーブルアーチ地区(注:ハイドパークのすぐ東側の商業地域)に商業物件を所有している。


ハジム・シャラアンについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Hazim_al-Shaalan

ウィキペディアに書かれていることと、ウィキペディアでソースとしている資料をまとめると:
1947年、イラク南部のディワニヤで、ガザル族(Ghazal tribe)の有力者(シャイフ)の家に生まれた。シーア派アラブ人。
バグダード大学で経済学を学んだ(学位を取得)後、1983年から(サダム・フセイン政権下)にthe Iraqi Real Estate Bankで検査官トップをつとめ、85年に国外に脱出。イラク戦争前は英国で不動産会社を経営。

アフマド・チャラビの「イラク国民会議」の一員で、2003年4月(サダム・フセイン政権崩壊後)にカディシヤ州(旧称ディワニヤ州)知事に任命され、イラクに戻った。

2004年6月(主権がCPAからイヤド・アラウィ政権に移譲されたときか)にイヤド・アラウィ政権で防衛大臣に指名され、2005年5月まで同職。

シャラアンが防衛省調達部門の責任者として指名したジヤド・カタンに対しては、イラク軍の兵器購入費用として与えられた10億ドルを横領したとの疑惑がある(2005年9月19日、英インディペンデント紙報道。記事を書いたのはパトリック・コッバーン)。

2005年1月の議会選挙(米メディアが「紫革命」と騒いだもの)では、チャラビと距離を置いてガジ・ヤワルの「イラクのリスト」から立候補。

2005年5月に成立したイラク移行政権(2006年5月まで)の財務大臣、アリ・アラウィによって、シャラアンは公金横領で告発/非難され(accuse、どちらの意味なのかウィキペディアではわからない)、2005年12月の議会選挙ではCommission for Public Integrityがシャラアンの立候補差し止めに動いたが、シャラアンは結局は「愛国者の議会 Parliament of Patriotic Forces」という団体を作って立候補、しかし落選(1人も当選せず)。

英インディペンデントによると、シャラアンとカッタンの2人は2005年にヨルダンに脱出している。

2007年5月、本人欠席の裁判で公金横領で有罪判決を受け、禁錮7年を言い渡されている。

イラク政府にイランが関係していることに非常に批判的で、2004年8月にはイラクの「第一の敵」はイランだと発言。イランの通信社MEHRNEWSでは、シャラアンはサダム・フセインの秘密警察(ムハバラト)の一員だったとの書類の存在が報道されている(ソースはウィキペディアの記事を参照。2005年1月、ナジャフ筋から出てきたものだとのこと。このころは「情報戦」が行なわれていたのだが、この件もその点は要注意)。
タグ:イラク戦争

※この記事は

2008年06月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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