kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2018年10月30日

72時間で3件……10月の終わり、中間選挙直前の米国でばらばらに起きた憎悪犯罪

先週後半のアメリカからのニュースはめまぐるしかった。72時間の間に3件のテロ/ヘイト・クライムが、それぞれ別々に、立て続けに起きた。3件のいずれもが、ざっくり言えば「右」の側からの政治的暴力で、「同時多発」という用語は用いられていないが同時多発の状態。たぶんどれかが別のどれかを触発したとかいう関係にさえないのだろうが、ひとつのムードを共有している。

大きく取り上げられているのは3件のうち2件だ。残る1件は、タイミングのせいもあるだろうが、私も記事は1本しか見ていない(英国のメディアをチェックしているからそうなのであり、米国の報道を見てればここまで少ないということはないかもしれない)。ケンタッキー州の食料品店で51歳の白人の男が銃を乱射し、60代のアフリカ系アメリカ人男性2人が殺されたという事件で、警察が「人種が動機となった可能性がある」と見ている、という報道だった。BBC記事のタイムスタンプは27日(土)で、私がメモっているのが28日(日)夜、それっきりこの事件についての報道は目にしていない。容疑者の名前などで検索すれば続報があるだろうが、ほかの2件が大きすぎてそこまで手が回らない状態である。

「ほかの2件」のうち1件は、先週米東海岸と西海岸で相次いで爆発物(パイプボム)が送りつけられた件での容疑者の逮捕・起訴である。ボムが送りつけられたのは、昨今の「陰謀論」では主役を張っているジョージ・ソロス、「陰謀論」の世界では人を殺しまくっているということになっているクリントン夫妻、「陰謀論」の世界では「アメリカ生まれではない隠れムスリム」だったりするオバマ前大統領をはじめとする民主党の要人たちと、映画賞という場でめっちゃストレートなトランプ批判を繰り広げたロバート・デニーロが経営するレストラン、そしてCNN。最初にソロスのところの件が報じられたときには「ユナ・ボマー」とかを連想して長期化するかもと思っていたのだが、1週間もせずに容疑者は特定され逮捕された。爆発物にはイスイス団の旗をデザインしたステッカーに見えるものが貼り付けられるなど小細工がなされていたが、そんなことより指紋か何かが残っていたようで、それが手がかりになったらしい。そして逮捕された容疑者は、筋骨隆々たる50代の元ストリッパーで、数年前に破産して母親と同居しているという人物。所有する白いヴァンの窓に、ネットでしか見ないようなおどろおどろしい「トランプ支持」の図像を印刷したものをべったりと貼っていて、近所の人がいやがっている。SNS使用歴があり、アカウント閉鎖前にサルベージに成功したジャーナリストが分析したところ、ある特定の日を境に、「酒と料理と美女が好きなお気楽マッチョマン」的な投稿ばかりの状態から、急に「イスイス団をぶっ潰せ」みたいな投稿ばかりの状態に変わっているという。その変化に影響していると思われるのは……おっと、ここまでだ。

続きは下記にて。同じことをあちこちに書くのはいやなので。

中間選挙前、米国で連続テロ(爆発物送付、シナゴーグ銃撃など)。トランプは「メディアが悪い!」
https://matome.naver.jp/odai/2154083007447928801

先週立て続けに起きた3件目のテロ/ヘイト・クライムは、1つ前のエントリで書いたGabの件を引き起こした、土曜日のピッツバーグのシナゴーグ銃撃テロである。これは、日本ではどうも「過激な個人のやったこと」扱いがされているようだが(ディラン・ルーフの黒人教会襲撃のような)、より大きな《物語》の中にあることは疑いようがない。つまり「反ユダヤ主義」という《物語》だ。容疑者は「1488」という記号を、SNSの自分のページに掲げるような人物である。

ボム送付、シナゴーグ銃撃、どちらについても、トランプ本人とその政権の反応は、「陰謀論」臭がすさまじい。そしてそれが今のnormである。

その件も、上記の「まとめ」にて。


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「オルタナティヴなTwitter」として知られるGabが居場所を失った件

10月27日(土)、米ペンシルヴァニア州ピッツバーグで、安息日のシナゴーグが攻撃されるという卑劣なテロがあった。トランプ政権はこのテロについて「頭のおかしな個人がやったこと」的な誘導(ざっくり言えば)を行なっているし、今もケリーアン・「オルタナティヴなファクト」・コンウェイが「反宗教」という枠組で片付けようとしているというフィードを見たばかりだが、銃撃を行なった人物は「反ユダヤ主義」に染まり、「陰謀論」を信じ込んで、政治的な目的を持ったテロリストとして指弾すべき人物だ(順番が前後するがこの事件そのものについて詳細はこのあとで書く)。MSNBCのベン・コリンズ記者が掲示している、容疑者が投稿したミーム画像を見れば、どういう方向の「陰謀論」に染まっていたかがわかるだろう。

gaboffline4.png

11人を撃ち殺したこのテロ容疑者が公然と発言するのに使っていたSNSが、GabというSNSである。「オルタナティヴなTwitter」という位置づけのこのSNSは、2016年夏にベータ版がスタートし、2017年5月に本格サービスを開始した。「オルタナティヴなTwitter」というのは、Twitterが(不十分でかなりでたらめな面もあるとはいえ)発言の内容によってはユーザーの活動・サービスの利用を制限・停止することもあるという一方で、Gabは「言いたいことは何でも言える」状態にあるということだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gab_(social_network)

Gabを設立したアンドルー(アンドリュー)・トーバは、「オルタナティヴ」とか「言論の自由」といった概念を、まったくの中立の観点から使っている人物ではない。「世間は左傾した大企業が牛耳っている」的な世界観の持ち主である。その「言論の自由」は(「政府による検閲が行なわれないこと」などではなく)、はっきり言えば、「陰謀論を主張する自由」であり「人種差別をする自由」である。

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2018年10月28日

「本物は言うことが違うよね」って、「本物」が「戦場が流動的」とか「最強のなんとか」とか言うか、タコ。(ある「デマ」の記録)

安田純平さん解放・帰国のニュースがあって、「ああ、よかった」と胸をなでおろしているときに、またぞろ、ネット上で拡散されているとてつもなく雑な「デマ」のことを知った。

その「デマ」をぱっと見て、「出典を確認するような検証ならネットロアさんが腕をふるってくれそうだが、これはid:hagexさんがこんなふうにつっこみながらまとめてくれるんじゃないかな」と思って、1秒もしないうちにああそうだ、あの人もういないんだ、あの人、私たちから奪われたんだということに思い至った。殺害されるっていうのはこういうことなんだよね。理不尽な暴力が原因で、あの人が新たにものを書くことは二度とないし、あの人が「ネット上のデマ」を見て分析し、ツッコミを入れることも二度とない。

その「デマ」は、安田さんの解放というタイミングで広めている連中には明らかに政治的な思惑があると思われ、つまり英語のrumourを含め「不確か・不正確な情報」を何でもかんでも「デマ」と呼ぶ日常の日本語のおかしな用語法による「デマ」ではなく、定義どおりの「デマ(デマゴギー)」だ。(関係ないけど、かっこつけて「デマ」を「デマ」という省略形を使わずに言おうとして「デマゴーグ」と言ってる人に案外よく遭遇する。著書のあるような人でも混同しているようだが、「デマゴギー」と「デマゴーグ」は、「プロパガンダ」と「プロパガンディスト」くらい、「ギター」と「ギタリスト」くらい、「キャベツ」と「キャベツ農家」くらい意味が違うので注意されたい。)

この「デマ」は、わりと早い段階で「デマである(根拠がない)」と指摘され、報道機関でもその旨報道されているが(HuffPo, 共同通信東スポなど)、2万数千回もリツイートされているそうだし、ネット上にウヨウヨしている「話題になったことをまとめるサイト」や個人ブログ、個人のFacebookなどの投稿を含めれば、「デマ」を「デマ」と指摘する報道が追いつかないくらいに広まっているだろうし、それに、それこそid:hagexさんがずっと問題視していたような、「これはデマかもしれないけど、でも、言ってることは結局は正論/いい話だからいいじゃん?」的なヌルい受容のされ方もしているだろう。そういう場合、「発言主とされている人がこんな発言はしていないにしても、言ってることは妥当」などとして、根拠のない発言が一人歩きする可能性も低くない。つまり私は頭痛がして頭が痛い。特に「反日」「国に迷惑をかけるな」とカキコしたくてウズウズしている人々(いわゆる「ネトウヨ」)の間では、これが「戦場取材の鉄則」として既成事実化されるに違いない。私はやたらと「この道はいつか来た道」と言ってみせるというパターンには鼻白む思いをしている系だが、それでもこれは明確に「この道はいつか来た道」だ(あの四字熟語の大合唱が起きたのは14年半前のことだから、知らない人、忘れている人もいるかもしれないが)。実際、東スポの記事でスマイリーキクチさんが「渡部さんご本人も否定しているし、フェイクニュースだと伝えられているのに、今もこのデマを事実と捉えて拡散している人達がいる。感情に流されて自身の非を受容しない。デマを見抜けない人より、デマを認めない人が危険なんだ」と述べていることが紹介されている。

その「デマ」は「○○氏が語った戦場取材の掟」というものだ。実在するフォトジャーナリスト(ユニークな話し方と温厚な人柄が受け、一時テレビにひっぱりだこで、しかも一般的にかなり好かれていた)の名を挙げたうえで、全8か条が箇条書きにされているのだが、そのいずれもが雑としか言いようがない。「何ですか、これは」と反応するよりないというか、「戦場が流動的なところには行かない」というのは、ええと、そこは岸田今日子が住んでる砂丘か何かなんですか。「国外の難民キャンプとかを中心に取材する」の「とか」って何ですか。あたしの素の文じゃあるまいし。だれか文章校正しろよ。

だから、これはおそらく「ネタ」なのだろうと思うし、そうである場合「ネタにマジレス」の状態になると思うが、それでも、こんなん、ほっといちゃいかんのだろうなと思うし、同時にとてつもなく頭に来るじゃん。

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2018年10月23日

「反・西洋」という密かな熱狂が、邪悪な殺人を正当化するために利用されているかもしれない。

いわゆる「欧米」圏の外での出来事について、「欧米」が批判するなり非難するなりする場合、「欧米が欧米の価値観を押し付けようとして騒いでいるだけだ」ということにしてしまえば、静かであってほしい界隈は静かになる、というのがある。(ここで私が曖昧にぼやーっと書いている理由は察していただきたい。)

私が鮮明に記憶している例は、ずーっと前、10年以上前ではないかと思うが、中央アジアやイエメンでの若年女子と、中年・老年男性の強制結婚という「習慣」について、「人権上の問題であると言う者は、『普遍的人権』という『欧米』の価値観を押し付けようとしているだけだ」という反発があったこと。あと、インドの「ブライド・バーニング」についても、パキスタンの「名誉殺人」についても、スーダンやコンゴでの「性奴隷」についても、そのような「これはこの土地の習慣だ」論を見たことがある。(それらはたまたま被害者と位置づけられる側が女性で、フェミニズム方面での指摘が盛んだったのだが、被害者は女性とは限らない。例えば性暴力は男性にも向けられている。)

実際、イスイス団が特にヤジディの女性たちにめちゃくちゃひどいことをしまくりながら世界的規模で蛮行を先導/煽動したことで、全世界が「暴力反対」みたいなムードに傾いていなかったら、たぶん今でもこのような人権侵害について「この土地のやり方」云々が主張され、それが受け入れられていたのではないかと思う。その意味でも、今年のノーベル平和賞で性暴力に対する活動をしてきたヤジディの活動家、ナディア・ムラドさんと、とコンゴ(DRC)の医師、ドニ・ムクウェゲさんが受賞者となったことには大きな意義があると思うが、それですら、「ノーベル賞なんて欧米の云々」という発言を生じさせるだけの界隈もあるだろう。

そもそもその「欧米」とは厳密に何なのか、ということはひとまず措いておこう。通例、日本語で「欧米」といえば英語のthe Westのことなので、そう考えておく。

そのthe Westに対する反感、というかthe Westを敵視する主義主張のことを、Occidentalism(オクシデンタリズム)という。下記引用の (i) の意味。

Occidentalism refers to and identifies representations of the Western world (the Occident) in two ways:
(i) as dehumanizing stereotypes of the Western world ...
(ii) as ideological representations of the West ...

https://en.wikipedia.org/wiki/Occidentalism
※引用に際して読みやすくなるよう書式に手を加えた。


2006年と少し前の本だが、イアン・ブルマの本が新書になっている(アヴィシャイ・マルガリートとの共著)。

反西洋思想 (新潮新書)
反西洋思想 (新潮新書)


オクシデンタリズムは「欧米」の中に生じることもある。例えば、昨今の新自由主義社会での格差拡大などを身近に見て「西洋的な価値基準が絶対的に善というわけではない」と考えるところから、自分が属し、根ざしている社会そのものに疑問を抱くということがある。非常に大雑把にいえば、そういったベースの上では、「西洋でないもの」は「とりあえず無条件で受け入れるべきもの」となるし、「西洋的なもの」は「とりあえず否定すべきもの」となる。G7のような場についての報道で、日本の首相は(西洋の首相ではないということだけで)とりあえず無条件で肯定的な光のもとに置かれる、という状況は確実に存在する。たとえトランプとマブダチであることをアピールしまくっているような人物であっても、トランプが厳しく批判されている場面で「中立の人物」として解説される、といったことが実際にある(今年のG7サミットでのメルケルとトランプの写真についてるキャプションで見た。どのメディアで見たのかを忘れてしまったので、ソースが今探し出せないのだが……)。

マーティン・スコセッシの映画『沈黙』は、私が見た限り英語圏の一般メディアでは「よくわからないけど仏教を貶めてない?」という方向で不評だったのだが、それは「日本」という「非西洋」の残虐性がそのままむき出しに描かれていたためだったようだ。英語圏の人たちは、研究者やよほどのオタクでもない限り、日本にキリスト教徒迫害の史実があることなど知らないから、あの映画が「仏教批判」に見えるのだろう。そしてもちろん、「スコセッシの宗教臭い映画」を「見る価値なし」と一蹴する彼ら・彼女らは、あの映画が日本人作家である遠藤周作の小説をほとんどそのまんま映像化したものであることを知らない。

沈黙 -サイレンス-(字幕版)
沈黙 -サイレンス-(字幕版)

『沈黙』を「仏教批判映画」と位置づけた彼ら・彼女らの中にあるのは、「自分がよく知らないもの」に対する遠慮というか、ある意味での思慮深さと寛容だろう。そしてそういう思慮深さと寛容は、「僕は関係ないけど、あの人たちにも思想の自由・発言の権利はあると思うよ」「その発言の内容が変ならそれに対する批判が出てくるし、その発言はまともに受け取られることはないはずだ」といった形で、所謂「イスラム過激派」に場を与えたことは事実だ。少なくとも、(アメリカではどうか知らないが)イギリスではそうだった。

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2018年10月21日

10年以上前に書いた文と、トラックバックと、はてなダイアリーについて: 「検証可能」ではなくなるということ

『新潮45』の廃刊を受けて、高橋源一郎さんが書いた文章が、先日、はてなブックマークでおおいに話題になっていた。現時点(10月21日夜)でブクマ数1200件を超えている。

その文章は、どうか各自ご自身で読んで、感想があれば(私にぶつけずに)ご自身でアウトプットして消化していただきたいのだが、私自身は非常にひっかかるものを感じながら読んだし、一読して違和感以外の何ものでもないもの(なのに、別の何かに偽装されているもの)を喉元に詰まらされた感じがした。口に入れれば口の中の水分を全部持っていくカステラ的なおやつを、お茶も水もなく出されて、「どう、美味しいでしょう」という圧力を感じているという感覚だ。これは「志の高い若者が挫折し、ダークサイドに落ちた」という《物語》なのか? Facebookに就職したニック・クレッグのように? (クレッグのことはまた改めて書く)

中でも、最も大きな「?」が頭の上に浮かんだ箇所がここだ。

「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい」というのも類を見ない発想だ。他の雑誌でも「詳細を知らないが」と前置きして書いているのを見かけるので、あえて「知らない」ままで書くのがお好きな方のようだ。おそらく、その方がフレッシュな気持ちで書けるからだろう。とにかく、小川さんに「事実と違う」と指摘するのは意味がないのではあるまいか。だって「知らない」っていってるんだから。しかし、これ、いい作戦かもしれない。おれも、「詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細を知るつもりもない」と前置きして書くことにしようかな。それで文句をつけられたら、「おれの文章をきちんと読め! 知らないっていってるだろ」といえばいいわけだ。でも、それでは、「新潮45」を読むような善男善女の読者はびっくりしたと思う。ふつうは、ある程度、意味を知って書いているはず、と思いこんでいるからね。

--- 高橋源一郎、『「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた』
http://kangaeruhito.jp/articles/-/2641


ブコメに書いたんだけど、「『……性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい』というのも類を見ない発想だ」というところで「?」となった。その「類」、けっこうよく見るんですけど……っていう感じ。それもネット上の特殊なところで見るわけではなく、書店の書棚なんかで。

高橋さんのこの記述自体が、この記述において述べられている「詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細を知るつもりもない」的な開き直りの構造になっているから、意図的なことなのかもしれないなと思うけれども、ともあれ、問題はLGBTQなどの用語で表されている「性的アイデンティティの多様化」(というか「男か女かの二分法を超えたアイデンティティ」)について、「マルクス主義がぁぁぁ」「サヨクがぁぁぁ」と叫んで「伝統の解体」だの「社会の破壊」だのをもくろむ陰謀だと主張する向きは、かなり前から、けっこうそこらへんにごろごろしているということだ(私個人が直接観測できる範囲では、LGBTQについて「伝統の解体」だの「社会の破壊」だのという結論を自分の中で導き出し終わっている人が、「では、それはなぜなのか」という理由を求めていった先が「サヨクがぁぁ」言説だった、ということがある。そういう場合は左翼でない/右翼の/マルクス主義の影響を受けていないゲイライツ活動家の実例をひとつふたつ示せば話は終わると思うが)。

そういうトンデモな主張について、私は以前このブログで書いている。私のそのブログ記事の前段階にあったのは、荻上チキさんの「トラカレ」の記事で、今回、高橋さんの文章に対するはてブのコメント欄には、それが読めるURLを貼っておいた。

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2018年10月18日

「そしてわたしは何も言わなかった。この人にどう反応したらよいのかわからなかったから」――2018年の #ブッカー賞は、アンナ・バーンズがMilkmanで受賞

今年で50回目を迎えるブッカー賞は、史上初めて、北アイルランド出身の作家が受賞した。

ブッカー賞は、ざっくり言うと、英語圏で最も参考にされている文学賞。日本でいえば「芥川賞」みたいな存在だ。元々は英国圏(ブリテン諸島、つまり英国とアイルランドと、旧英連邦諸国)の作家・作品を対象としていたが、2014年からは英語全体に対象を広げ、昨年と一昨年は米国の作家が受賞しており、今年も最終候補(ショートリスト)の6点のなかでは、米国の作家の作品が有力視されていたようだ。

その下馬評を覆して受賞したのが「大穴」のアンナ・バーンズ。1962年生まれの彼女にとって、受賞作のMilkman(ミルクマン)は長編3作目だが、デビュー作のNo Bones(2001年)もオレンジ賞の最終候補に残るなど高く評価されている。バーンズは北アイルランドの首都ベルファストの北部にあるアードイン地区に生まれ育ち、1987年にロンドンに移り住み、現在はイースト・サセックスに暮らしているという。

アードイン地区といえば北アイルランド紛争で最も激しく暴力が吹き荒れた場所のひとつである。ユニオニスト独裁政権への抗議行動が続いていた1968年10月(今から50年前)、デリーでの暴力により事態が「紛争」の局面に入ったとき、バーンズは6歳だった。うちらの感覚でいえば小学校入学から25歳までずっと、いろいろと厳しいエリアで、「紛争」の激しい暴力が日常という中で過ごしたのだ。

今回の受賞作Milkmanは、北アイルランドの「どこ」と特定していない町で、「どういう名前のだれ」と特定されていない18歳女子が、一人称で、彼女の身に起きたことを語るという作品である。

2018年1月に出た本で、ハードカバーだけでなく既にペーパーバックも入手できるが、日本から買うなら電子書籍が手っ取り早いだろう。

Milkman (English Edition)
Milkman (English Edition) - Amazon Kindle

Milkman【電子書籍】[ Anna Burns ] - 楽天Kobo電子書籍ストア
Milkman【電子書籍】[ Anna Burns ] - 楽天Kobo電子書籍ストア

受賞のニュースについて、また作家のインタビューやいろんな人の反応については、下記に(少しだけだが)記録した。

2018年のブッカー賞、同賞史上初めて北アイルランド出身作家の作品が選ばれる
https://matome.naver.jp/odai/2153976930796791501

作品は、審査委員長のクワメ・アントニー・アッピアが「読むのに骨が折れるが、苦心して読んだだけの見返りが十分にある」といったコメントをしているのだが、とにかく全体的に「読みづらい」という評判だ。中には「本を売りたい人には喜ばしいニュースではない」(ガーディアン)とかいう分析もあるし、Twitterを見てたら「本ってのは読まれなきゃ意味がないんだから、読みづらい本なんて存在価値なし」みたいな極論を延々と連投している人もいたのだが、実際にはかなり売れているとアイリッシュ・タイムズのマーティン・ドイルさんは報告している。

私も早速電子書籍を買って読んでいるのだが、確かにすいすい読める感じではない。最近、自分を甘やかしていて、非常にロジカルなパラグラフ・ライティングされた文や、報道機関の定型に乗っ取ったような読みやい文ばかり読んでいるので、こういう、読むときに一呼吸必要な濃密な文、息の長いパラグラフは、読むのに時間がかかる。それに、内容もやはり、読みやすいものではない。あちこちでひっかかる。

だが、そこかしこで言われているように「実験的で読みづらい」とは、特に感じない。これが「実験的」なら、ジェイムズ・ジョイスなどどうなってしまうのか。職業柄、難しい文章を読みなれているアッピアは「スノードン山に登るようなもの」という比喩を使っているが、それならジョイスはエベレストか。あるいは月世界旅行かもしれない。いや、逆に洞窟の中か。

Written with few paragraph breaks, eschewing character names for descriptions, Appiah admitted that Milkman could be seen as “challenging, but in the way a walk up Snowdon is challenging. It is definitely worth it because the view is terrific when you get to the top,” he said. “I spend my time reading articles in the Journal of Philosophy so by my standards this is not too hard. And it is enormously rewarding if you persist with it. Because of the flow of the language and the fact some of the language is unfamiliar, it is not a light read [but] I think it is going to last.”

https://www.theguardian.com/books/2018/oct/16/anna-burns-wins-man-booker-prize-for-incredibly-original-milkman


ジョイスはどうでもいいんだ。

Milkmanの立ち読みは、Amazonの「なか見検索」でも提供されているし、版元のFaber & Faberのサイトでも提供されている。

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posted by nofrills at 04:00 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

Google+終了の件: 問題は「サービス終了」だけではなく「不都合な事実の隠蔽」

「Google+が閉鎖される」――9日早朝の時間帯、Twitterはその話題でもちきりだった。

それに気付いたのは、PCの画面を見ながらツボ押し棒で腕のマッサージをしていたときに、Twitter (UK) で「Google+」がTrendsに入っていたからだ。Twitterの画面を見ているだけでわかったのは、消費者(一般ユーザー)向けのGoogle+が閉鎖されること(企業向けのは残る)、そしてAlphabet社(なのかGoogle社なのか、厳密なところは判然としないが)がその決定を下す前にウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の報道があった、ということだった。

「Google+の閉鎖」については、時期はいつなのかといったことはTwitterの画面だけではわからなかったが、そもそも自分では使ってもいないサービスなので、閉鎖がいつになろうと関心はなかった。閉鎖されても、まあどうでもいいかな、という感じ。

しかし、「WSJの報道」については無関心ではいられなかった。報道内容は、Twitterでわかる範囲だけでも十分に深刻なものだった。いわく、Google+でユーザーが非公開としている登録情報(名前など)がさらされる(さらされうる)というバグが、今から何ヶ月も前に発覚したが、Google社/Alphabet社ではそれを公表しないことにしていた、という。そして実際、そのバグのことは公表されずにいた。

私が見ていた範囲では、Twitterで見られる「Google+」についての発言らしい発言(メディア記事の見出しのフィードを除いたもの)の半分くらいが、そのWSJの報道内容について「これはひどい」と位置づけるものだった。また「Google+なんて、誰が使ってたのwww」というまぜっかえしのような発言に対し、Google+は(マイナーで奇妙でいいかげんでどうでもよいサービスであるかもしれないが)登録ユーザー自身が自分でアカウントを持っていることを把握してもいないケースが多いという指摘もかなり多く見た。

それらを自分でメモるつもりでTwitterに(雑に)書いておいたら、かなり多くretweetされるなどしていたので、一覧性のためにも、ここでまとめておこうと思う。まとめるに際し、適宜補足もしていこう。

なお、日本語圏では『「Google+」の一般向け終了へ 個人情報関連バグ発見と「使われていない」で 』 (ITmedia News) という方向での見出しがつけられていることが多いようだが、事態は「バグ発見」なんかより全然悪い、というかもろにevilだ、ということだ。「使われていない」などということは、Googleにとっては重大なことかもしれないが、個人情報がさらされた可能性があるユーザーとしては、この際ほんとにどうでもいい。こういった企業のステートメントそのままの見出しを見ると、「あんたら、どっち側に立って、どっち側を見てるの?」と思わざるを得ない。

ちなみに英語圏では、Google to shut down Google+ after failing to disclose user data leak (The Guardian: 一般の新聞) とか、Google shuts down social network after data issue: Tech giant faces privacy crisis after deciding not to reveal problem at Google+ (FT: 経済新聞) とか、Google is shutting down Google+ for consumers following security lapse (The Verge: IT系オンラインメディア) とかいった感じだ。ほか、BBCやCNNなど大手の見出しもTwitterのnewsのタブでざっと見ているが、「使われてないサービスを閉鎖するのはまっとうなこと(企業として健全な経営判断)」という方向に誘導しうる情報が見出しに含まれている例は、英語では見なかった。というか、日本語での報道を見て、びっくりしたんだけどね。

Twitterより(時間が経過したあとの画面で、私が最初に見たときの画面とは違うが):
https://twitter.com/search?f=news&vertical=news&q=Google%2B&src=tyah

google-plus-shutdown-headlines.png
※キャプチャ画像は減色加工をしてあります。

以下、自分のツイートのまとめなど。


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posted by nofrills at 19:30 | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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