kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年10月29日

英国からシリアに行ってイスイス団に加わったと思われる白人青年がクルド人地域で起訴されたが、英国政府は本音としては「殺害」方針支持に傾いていることだろう

「ジハーディ・ジャック」が起訴されたという報道が、10月28日、メディアに出ている

「ジハーディ・ジャック」と呼ばれているのはジャック・レッツという名の英国人の青年だ。現在21歳の彼は、まだティーンエイジャーだったころ、2014年にヨルダン経由でシリアのイスイス団支配地域に入った。「Aレベル」取得を断念して(「Aレベル」は日本の制度でいうとおおむね「高卒の資格」と「センター試験」を兼ね備えたものなので、「高校を中退」のような感じ)英国を発った彼は、「何が起きているのか、この目で見たかったからシリアに行った」ということを述べているようだが、実際のところはそうではなくイスイス団に加わるためにシリアに行ったのだろうという疑いがある。彼の「起訴」はその疑いについてのものである。

さて、その裁判だが、彼の出身地である英国で行われるわけではない。シリアで行われる。しかし「シリア」といってもダマスカスの中央政府の統治下ではない。北部のクルド人支配域だ。

シリア北部のクルド人支配域は、今もなお公式にはシリアの一部(つまりダマスカスの統治下)であるのかもしれないが、実態としては「自治区・自治領」になっている(英語では "de facto autonomous region" ということになる)。なぜそうなったかを簡単に振り返っておくと、だいたいこういう感じ――2011年2月から3月にかけてシリアで民主化要求運動(拷問の廃止など人権運動を中心としていた点では、エジプトの「革命」の過程とよく似ていた)が起こり、政権側がそれを武力で鎮圧したことで「平和的な改革要求」という道が閉ざされ、シリアは「内戦」の状況に陥った。アサド政権の軍や民兵と、反政権の諸勢力(民主化要求運動からイスラム主義まで幅広い政治・思想的バックグラウンドを有していたが「アサド政権反対」という点で英語圏報道では一様に "rebels" と称されていた諸勢力)が戦闘を重ね、非戦闘員が暮らす市街地に政権側が空から攻撃を行なってクラスター爆弾や即製の「たる爆弾」を投下して多大な犠牲者を出し、さらにはいわゆる「アルカイダ系」のサラフィー・ジハード主義の集団が「シリアの政治」という枠組みを超えた「イスラムの国を作る」とかいう主張を掲げて民主化要求運動が主導した「革命」に便乗し、さらにそれを乗っ取る形で我が物顔をするようになるという、シリアの内戦化・内戦の激化の過程で、アサド政権があまり注意を払っていそうになかったのが北部のクルド人の多い地域だった。比較的早い段階からこの地域の動向に注目していた英語圏のジャーナリストを私はTwitterでフォローしていたのだが、そういう人でもない限りは、大手メディアや国連のような機関の中の人たちを含めて大半は、「シリア情勢」といえば「アサド政権は(も、エジプトのムバラク政権やリビアのカダフィ政権のように)崩壊するのか」ということ、および「アルカイダ(後にイスイス団となった集団も含む)にどう対処すべきか」と「アサド政権の非人道行為・戦争犯罪行為にどう対処すべきか」ということに意識が向いていた。BBCのような国際メディアの人も、ワシントンDCのシンクタンクの人も、北部のクルド情勢についてはあまり注目していなかったのだ。そういう状況下、2013年11月に「シリア北部民主連邦 (the Democratic Federation of Northern Syria: DFNS)」(通称Rojava)の設立が宣言された。英語版ウィキペディアにマップがあるのだが、DRNSは、シリアとトルコの国境線に沿った地域を、地中海に面した西部のごくわずかな部分を除いてだーーっと支配下に置いている(マップでオレンジ色になっているアレッポ県北部はどうなんすかね)。このRojavaについて説明することはここでの本題ではない。詳細は2017年7月に勝又郁子さんが書かれた詳しい記事が、シノドスに出ているのでそれをご参照いただきたい(が、「バランス」という点では別の視点からの記事も参照する必要があると思う。例えば「アラブ人への差別」についてなど、一方のスポークスマンの発言だけで事実を決め込まない程度に慎重を期す必要があることは多い)。

さて、2014年に英国からヨルダン経由でシリアに入った英国人青年、「ジハーディ・ジャック」ことジャック・レッツが2017年10月に起訴されたのは、このRojava (DFNS) でのことだ。そのことを報じるBBC記事には次のようにある。

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posted by nofrills at 23:36 | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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