kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2017年07月07日

「ホームグロウン」の《物語》が、語らないものがある。

twittertrends07072017.png7月7日、私が見ているTwitterの画面では、#LondonBombingsがTrendsの上位に入っている。ハッシュタグを見てみると、追悼式典の写真や追悼の言葉、当時の報道などに混じって何の余地もない「ヘイトスピーチ」も並んでいる。またさくさくとミュートしたりブロックしたりするだけの簡単なお仕事をする。それらのヘイトスピーチが自分の中に残す汚い感情と、それらに接して自分から出てくる汚い言葉を、麦茶で流し込む。そうして流し込んだものは排泄されるのだろうか。それとも蓄積されるのだろうか。

あの晩の今くらいの時刻、私は東京の自宅でTVニュースを見て、画面に表示されていた「爆発地点マップ」に目を奪われていた。そのマップはその時点での情報に基づいていて、その時点の情報はかなり混乱していたので、実際には爆発がなかった場所も多くマッピングされていたことがしばらくして明らかになるのだが、その時点で「ロンドン地下鉄の複数の場所で爆発があった」ということは確実で、その4年ほど前に米国で起きたことから一気に日常語化していた(ちょうど、その10年前に東京で起きたことから「異臭」が日常語化していたのと同じようなことだ)「同時多発テロ」という六字熟語がすぐに頭に浮かんだ。と同時に、これはロンドンであり、ロンドンであるということはあの可能性(もあるんじゃないかとも思った。2001年にイーリングのパブをボムって以来、イングランドで爆発物が摘発されてはいるが、大きな活動は報告されていない武装組織があるのだから……しかし、それは「可能性がある」ではなく、「可能性もある」、というより「可能性が完全に否定できるものなのだろうか」のレベルでしかないことは、その組織名を頭に浮かべた瞬間にもわかってはいた。ただ、あの組織ではないという根拠はまだないだろう、根拠がない以上は断定はできないはずだ、ということでしかなかった。そしてそういうことを考えてる一方で、ネット上の英語圏で「公共交通機関がテロの標的にされるなんて、ロンドンがこんな目にあったことはなかったでしょう」とかいう、何をおふざけあそばしているのですかと言わざるを得ないような愚かな言葉(個人の感想)に接して(当時はTwitterのようなものはまだなかったので、報道記事やどこかのブログのコメント欄でだが)、「っていうかあなたがたアメリカ人がIRAを支援してたんですよねぇ?」という感情的な反発の中に自分が絡め取られていくのをそのままにしておくよりなかった。(アメリカ人のIRA支援については、ボストンのアイリッシュ・ギャングのボスとその兄である政治家と幼馴染の警官との黒い関係を描いた実録もの映画『ブラック・スキャンダル Black Mass』に少し出てくるが、「言及はされている」という程度なのでわかりづらいかもしれない。あの映画は「2時間ドラマ」でしたな……カンバーバッチの持ち腐れ。)

日本語圏でも「ニューヨークとワシントンDC、マドリードに続き、ついにロンドンも」的な言説が横行し、あたかもパニック映画を見ているようなムード、という言い方がきつすぎるようなら、ニュースを見て勝手にパニクってるようなムードに覆われていた。過去数十年にわたってマドリードはETAがいたし(実際、当時のアスナール首相は「列車爆破はETAだ」との見解に固執していた)、ロンドンはIRAの活動域だった。欧州の人たちは、そんなに簡単にパニクらんよ。

彼らを新たにパニクらせるためには、新しい概念と新しい言葉が必要だった。「今起きているこれは、過去に起きてきたものとは違うのです、異質なのです」という情宣が必要だった。

「ホームグロウン home-grown」という概念が日常に導入されたのは、正確に、いつのことだっただろう。

自分のログを掘ればそれがわかるかもしれないが、今はそんなことをする気力はない。暑さでバテバテだ。

IRAのころは「ホームグロウン」という概念などもちろんなかった。そもそも1960年代以降のIRAを形にしたのは、イングランド人の父とアルスター・プロテスタントの母を持つイングランド人で、彼こそ「ホームグロウン」と呼ばれるべき人物なのではないかと私などは思うのだが、その概念が英国外で、つまり「テロ」という文脈ではIRAの活動域外でできたものなので、現代IRAには適用されなかった。

【続きを読む】
posted by nofrills at 23:13 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む