kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年07月04日

はてなブックマークのレイアウトが変更になった

もはや毎日は見なくなって久しいはてなブックマークの自分のページを、先ほど北アイルランド和平プロセスに関する記事のメモをチェックするために見てみたら、レイアウトが変更されていた。

あとからはてブの開発ブログを見てみたら、7月3日付けでアナウンスが出ていた。
http://bookmark.hatenastaff.com/archive/2017/07/03

それによると、6月1日に予告がなされていたので、単に私が見てなかっただけだ。
http://bookmark.hatenastaff.com/entry/2017/06/01/150000

【変更前】(Googleキャッシュからサルベージ)

hatebumypage01.png


2006年にはてブを使い始めてから一度、今回と同じくユーザー全員のページのデザインが有無を言わさず全面変更になったことが一度あるので、現時点で「変更前」のこのデザインは、私にとって2代目である。上記キャプチャを見ればわかるとおり、背景画像をユーザーが自由に指定でき、タイトルの下に短い説明を書くことが可能だった。現時点では下記のように書いてあった。
http://nofrills.seesaa.net/ ブログの補完。読んだことくらいはメモしておきたい記事を片っ端から。基本的にただのメモ。/拙ブログ被ブクマ一覧⇒ https://is.gd/JCkht1 /雑音排除⇒ https://is.gd/9gXuIi


そして、このデザインのあとに、はてなではまた新たなデザインを導入した。もう何年も前のことだ。これは「ソーシャル」な機能的には充実していたようだが、私は基本的に個人のメモとしてしかはてブは使わない(他の人がブクマしているものを参考にするということが、ほとんどない。というか、そういう使い方をしていない)ので新デザインに切り替えても恩恵はなく、レイアウトも見づらいので変更していなかった。それが今回、強制的に変更されたわけだ。

【変更後】……というかさっきアクセスしたらこんな画面で、「うわ……」と思った。

hatebumypage2.png


「マイホットエントリー(Twitterの友達の間で話題になったエントリー)」は便利なのかもしれないが、私の使い方では、完全に余計な機能でしかない。Twitterとはてブを連携させて使っていたら非常にめんどくさいことになったので連携を切ったのがしばらく前。もう二度と連携させる気はない。そもそもTwitter上の私の「友達」(って誰だ。相互フォローになってるエルサレム・ポストとかベルファスト・テレグラフか)ではてブを使っている人はほとんどいない。

だがこれ、連携させない限り、ログインしている状態では、毎度毎度左サイドバーの「ブックマーク」をクリックしないと自分のブクマを確認することもできないのだろうか。うっとうしいな。まあとりあえず、当ブログのサイドバーなどにはってあるはてブへのリンクは、URLを http://b.hatena.ne.jp/nofrills/bookmark に変更しておこう。めんどくさいが。

【続きを読む】
posted by nofrills at 21:00 | TrackBack(0) | 事務的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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