kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2017年03月12日

BBC Newsでの微笑ましいハプニング(真顔)についての反応が示した「偏見」

韓国の大統領がついに罷免という大変な事態となり、世界中の注目が韓国に集中したその日、現地の大学(釜山大学)で国際関係論を教えている英国人のケリー教授は、BBC World Newsのコメンテーターとして、ウェブカムを使ってロンドンのスタジオのキャスターのインタビューを受けていた。ケリー教授は朝鮮半島についての専門家である。インタビューが進み、今回の事態が「より広い範囲に」、つまり朝鮮半島全体にどのような影響をもたらすかという深刻な面についての話になったとき、いきなり背後のドアが開き、どん・どん・どん・どんのバスドラ4つ打ちに合わせるように踊りながら、子供が入ってきた(ここで視聴者は、ケリー教授のインタビュー場所が大学の研究室ではなく自宅の書斎であることに気づく……英国ではこれは朝のニュースだったそうだが、韓国と英国は8時間の時差がある)。子供はそのままずんずんと前進して、パパが見詰めているカメラをじっと見詰める。教授も真顔なら、お子さんも真顔である。

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背中を向けているキャスターも真顔であることに疑いの余地はなく、真顔好きとしては、「これはすばらしい真顔博覧会ですね」と感嘆を禁じえないのだが、このあと、事態は急展開を見せる。どっかから「教授、アウト〜」って聞こえてきそうな画面だ。

短い映像だし、言葉などわからなくても見ればわかるので、まだ見ていない方には、ぜひごらんいただきたい。ただしお茶を飲みながらとか歯を磨きながらとかいった「ながら」視聴はおすすめしない。



これについては、「真顔」という観点を軸に、事態発生時にBBCのニューズルームにいたジャーナリストや当事者(キャスター、教授)のツイートとそれへのリプライを、下記に「まとめ」ておいた。

(・_・) 英国式真顔の真髄、あるいは「絶対に笑ってはいけないBBCニュース」
https://matome.naver.jp/odai/2148922169496268301

といっても、わざわざ「まとめ」にしたのは決して、これが「真顔好きにはたまらない」ものだったからだけではない。「真顔好きにはたまらない」からわざわざまとめたのではない。大事なことなので二度言いました。真顔で。 (・_・)

教授が「アウト〜」になり、事態がクライマックス(教授の「すみません」との発言)を迎えるシーン。大慌てで飛び込んできた紺色のボーダーの服の女性が誰であるかをどう認識するかについて、議論になったのである。

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posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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