kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年03月02日

「テロリストと話をする」ことをめぐって。

「テロリストと話をする talking to terrorists」は、(明示的か非明示的かは別として)「北アイルランド和平」以降の英国政府の基本方針である。

2014年10月、その基本方針のアーキテクトであるジョナサン・パウエルが、まさにそのタイトルの本を出した。ガーディアンのジェイソン・バークがそれについて簡潔なインタビュー記事を書いているのでご一読されたい。(この記事、何という俺得なんですけどね。)

Talking to Terrorists: How to End Armed Conflicts review – an optimistic analysis
http://www.theguardian.com/books/2014/oct/13/talking-to-terrorists-review-jonathan-powell-how-to-end-armed-conflicts

As a US-led coalition continues to attack the Islamic State (Isis), Jonathan Powell, a former adviser to Tony Blair and a key intermediary in the successful negotiations between the British government and the IRA, poses an important question: should we talk to the terrorists?

His answer is yes, for without talking we will never have a true peace. Even if we can obliterate the enemy through sheer firepower, we cannot eliminate the threat they pose without removing at least some of the grievances that motivated them in the first place. And this needs a negotiated solution.


0099575868Talking to Terrorists: How to End Armed Conflicts
Jonathan Powell
Vintage 2015-10-01

by G-Tools

※amazon.co.jpのカタログでなぜ「2015年」となってるのかはわかりません。2014年10月に出てることは事実。

これについて、先ほどちょっとしたやり取りを見た。駐リビア英国大使の発言がきっかけだ。


【続きを読む】
タグ:リビア
posted by nofrills at 14:30 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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