1958年2月6日(木)15:04 GMT、38人の乗客と6人の乗務員を乗せて西ドイツのミュンヘンの空港から離陸しようとした飛行機が、悪天候のため離陸に失敗、滑走路脇の民家に激突し、炎上した。飛行機はマンチェスター・ユナイテッドのチャーター機で、マンUのプレイヤーとクラブ関係者、チームと同行していたサポーターや、英国のジャーナリストも搭乗していた。乗っていた44人のうち23人が死亡、マンUは主将を含むプレイヤー8人とスタッフ3人を失い、マンチェスター・ガーディアン、マンチェスター・イヴニング・ニューズ、デイリー・メイルなどメディアは8人の記者を失った。サポーター1人と旅行会社のスタッフ1人、飛行機の副操縦士と客室乗務員も亡くなった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Munich_air_disaster
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/february/6/newsid_2535000/2535961.stm
マンUは、欧州カップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)の試合でユーゴスラヴィアのレッドスター・ベオグラードと対戦し、ホーム&アウェイの結果、次のラウンドへの進出を決定していた。「ミュンヘンの悲劇」はその帰路に起きた。
当時、マンUのチームは、実績のあるプレイヤーを「買う」という形ではなく、監督のマット・バスビーのプランに基づいてスカウトされ育成された若い選手たちで構成されており(それゆえ彼らには、"the Busby Babes" という愛称があった)、事故で命を落としたプレイヤーの平均年齢は24歳だった。(ガーディアンの50年目の写真特集の説明に、亡くなったプレイヤーの何人かに、まだ小さな子どもがいたり、亡くなって数ヵ月後に子どもが生まれたりしていると書かれている。)バスビー自身も事故で重傷を負い、危篤状態に陥り医師団も絶望視するほどだったが生還し、その後マンUの「黄金時代」を築き上げ、1994年に84歳で癌のため他界した。生還した9人のプレイヤーの中には、プロのフットボーラーとして続けられる者もいたが、この事故での負傷が原因で選手生命を絶たれた者もいた。
事故からちょうど50年となる今日、オールド・トラフォードでは事故の生存者も出席して追悼式典が行なわれ、ミュンヘンの事故現場でも、ちょうど事故がおきた時刻に、追悼の式典が予定されている。イングランド代表のスイスとの親善試合の開始前にも黙祷がささげられる。
http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/7228670.stm
事故の生存者であるサー・ボビー・チャールトンとアルバート・スカンロンが、事故のことを回想している記事がBBCに出ている。スカンロンは全身ギプスの状態でミュンヘンで入院していた間、「みんなは別の階にいる」と告げられていたと語っている。事故の直前まで機内で誰としゃべっていたということを思いながら、その状態で過ごすのはどういうものだろう。
Munich crash: Survivors' memories
Last Updated: Wednesday, 6 February 2008, 04:05 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/7226030.stm
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